2009年4月17日金曜日

02-01がむしゃら1830キロ、旅1日目 2008/09/02


夜勤明けそのままに祭りの撮影をしたにも関わらず、あまりの疲れにほとんど眠れず、午前2時頃に起床。

今の所行く確率は半々。

天気予報をみる限りではどうやら旅の道中は曇りや晴れ間がのぞくよう。

パソコン、携帯電話、ビデオカメラ、テント、寝袋、シートを準備し、去年買ってから使う事のなかった小型のボンベ、バーナー、食器等もリュックに詰め込む。

いつもなら着替えは持たずに行くのだが、今年はなぜか一日分を準備。

道中をテントで過ごすのだが、念のためにパソコンと携帯の電源も持って行く。


朝4時半、去年買った梱包用のゴムひもを取り出し、テント、寝袋、シートをバイクのタンデムに縛り付ける。

思った以上にしっかりと結わいつけられた。落ちる事もないだろう。


朝4時35分、仕事場のコンビニ到着。

同僚の具合がこのところ優れなかったので、確認するが、聞くまでもなく元気な様子だったので、一安心。

そしてやっと、旅の決心がつく。


今回は体力の不安があり、ひとつの目的を決めていた。

「やめる勇気」だ。

もし無理があれば諦める事も必要、と言うことだ


俺にとって、今日の行程の半分は過去に経験済み。

とりあえず、仙台の手前までは走った事があるので悩みはなかった。

だから、今回の目的はすべて達成出来ると信じている。

今回の目的は、本州の最東端と最北端を目指すこと。

以前の旅の続きだ。

しかし決定的な違いがあって、日程に限りがあるのだ。

もしひとつでも問題が起きれば、その後の日程がすべて狂う。

前回の旅が癒しなら、今回は過酷、の一言につきる。

だが一日目の半分は経験済みなのでその点は安心だった。

ところがこの油断は、俺の悪い所。それは後に分かる事となる。


近隣のスタンドでガソリンを満タンにして4時44分、旅のスタート!


まずは国道51を北上。

今日の行程を簡単に説明すると・・・水戸に入ったらすぐに、国道245へ右折。そのまま日立まで目指し国道6に合流したら、後は仙台まで一直線。そこからは国道45を走り、岩手県宮古市を目指す。


国道51を走り始めてすぐ、空が徐々に白み始める。と言っても一面の雲なのでそのままの白だ。

と同時に蝉時雨。ヘルメットをかぶって風切り音がうるさいにも関わらず、しっかりと耳に届いてくる。

夜が明けたようで、空が完全に明るくなった。晴れ間ものぞいている。

どうやら俺の晴れ男ぶりが発揮されそうな予感。

意気揚々とアクセルをひねり、あっという間に国道245へ合流。

まだ一日の始まらない時間の為か、道路は完全に空いていて、いつもよりも早いペースで進んでいる。

このまま行けば、夕方に魹ヶ崎を巡る事が出来るかもしれない、そう考えられるくらいだ。

東海村をすぎ、ほどなく日立市に入る。アップダウンが激しく、民家ひしめく狭い道だが、至って快調。どうやら朝のラッシュ時間にかぶらずに日立を抜けられそう。

そして国道6に遭遇。しかしここで驚く出来事が。

左折し市内しか通れなかった国道6だが、なぜか崖っぷちである右へも行けるようになっていて標識には「バイパス」の文字。

まさか?と思い迷わず右折すると、なんと海の上に橋を架けたバイパスだったのだ!

いつの間にこんなものが出来たのだろうと感心する俺をよそに、このバイパスはサプライズだらけ。距離も長い。

約2キロの洋上走行。途中滝(こんな場所なのに!)もあり、海側も崖側も素晴らしい眺めだった。

一気にテンションがあがる。

気づけば2時間もかからずに日立を抜けていた。

ここから先は、高萩、北茨城、そして福島県だ。

2時間走った時点でコンビニで朝食をとった。

今回の旅は、短時間でもこまめに休憩を取る事も考えていた。

その後は何のトラブルもなく、福島県に突入。素晴らしいくらいに快調。

比較的大きないわき市も抜け、広野町、楢葉町、富岡町、双葉市、南相馬市へと入る。

しかし相馬市へと入ると異変が。

小雨が降っているのだ。

と言っても元々風を上手く切るスクーターだから、小雨程度ではほとんど身体が濡れる事はない。なのではじめからカッパも準備せず、着る事もなかった。

すべては「やむだろう」の自信のもとに。

途中眠気覚ましの缶コーヒーを飲んでいるときに、真っ白なつなぎを着た地元のおじいちゃんから話しかけられた。

聞くと、エンジンやバイクを作る仕事をしていたのだとか。ちょうど「ALWAYS三丁目の夕日」の時代の話。沢山給料をもらい、楽しい思い出がいっぱいあるようで、おじいちゃんの話は止まらない。

ジュノオを作っていたとか、外国からエンジンを取り寄せてヘリコプターを作ったとか、溢れ出る話が止まらない。

そしてそのおじいちゃんの指は、爪との間に油のしみ込んだ黒い痕。

もう80歳くらいであろうおじいちゃんは腰が曲がる事もなく、今も現役で自動車をいじっているんだな、と気づかされた。

その話を聞いて眠気もすっかりとれ、「楽しいお話をありがとうございました」と別れ、再び走り始める。

一旦は止んだ雨だが、ちょっと走ると再び降り始め、ちょっと走るとまた止んで、の繰り返し。

そのまま宮城県へ突入。岩沼、名取と抜け、仙台へ入った。

すでに時間的に道路は混雑しているはず。避ける為、仙台市中心部を待たずして海へと抜けた。

しかしこの行動は、今回の旅の俺の良くない一面を見せる事となる。

渋滞は回避したものの、遠回りとなり、しかも雨脚はおさまらず。すでに服はびしょぬれだ

途中仙台東部道路の橋梁で雨宿りをしながら場所を確かめた。

今回の旅には新しい相棒が一緒なのだが、ここでこれが本領を発揮する事となった。

iPhoneだ。

このGPSは簡易タイプなのだが、かなり使える。

雨宿りをしながら現在位置を確かめたら、すぐに検出され、これから向かう先を簡単に決められたのだ。

もう旅に地図を持ち歩く時代は終わったのかもしれない。

相変わらず雨は降っているが、ほどなく国道45に合流し、多賀城市へ入った。

もうここから先は未知の領域だ。しかし目的地の寸前までこの国道を走っていれば間違いなく着くので、不安はない・・・いや天気が不安だ。

しばらく小雨が続いた後、雨が止んだ。雲も高い。

塩竈市を抜け、国道346が見えた。

先ほど国道45でまっすぐと言ったが、計画は少し違う。

海沿いを走るよりも、効率的にまっすぐ進めそうな国道346に乗り換え、途中からもう一度国道45に合流するのだ。

この国道、もっとアップダウンがあるものと想像していたのだが、それは良い意味で覆された。

確かに山には囲まれてはいるが、広い田んぼや畑が広がり、ほとんどこう配もないのだ。雨もやんでいる。

雨のせいで遅れたペースを取り戻すには、ちょうど良い環境だった。

松島町、鹿島台町、南郷町をぬけ、涌谷町。ここのコンビニで、今後の予定をもう一度考える事となった。

遅い昼食も兼ねて。

まだ半日しか走っていないのに、反省する事が多い。

昼食は地元のものをしっかりとろうと考えていたのだが、2日で2時間と言う睡眠時間と、日程の遅れから諦める事となった。カッパも持参していなかった。

結局、朝昼とセブンイレブン。これじゃ仕事をしている時と変わらない(笑)

しばしの休息の後、再び走り始める。

登米市を走っていると、段々と山中へと入って行く。高度が上がると、次第に雲行きも怪しくなり、ほどなく雨が降り始めた。

少しだけ雨宿りをし、再び現在位置を確認。途中コンビニを見つけたらカッパを買おうと決め、再び走り始める。

雨がやむ気配はない。

本吉町に入った。そして国道45に合流。海とも再会。

もうここから先、迷う事はない。

気仙沼市で再び海に出会うが、国道は山中へ。唐桑町、陸前高田市、雨脚は強くなるばかり。

とうとう耐えきれず、やっと見つけたコンビニでカッパを買った。またしてもセブンイレブン(笑)

もう写真やビデオを撮る余裕もない。ただ走っているだけ。以前の旅の一日目と同じだ。全く反省が生かされていない。とは言うものの、今回は雨のせい。仕方ないと言う所か。

大船渡市で再び山中を走り、海に再会すると釜石市。

まだキャンプの望みを捨てた訳ではないので、道路脇にホームセンターを探すが見当たらない。

名前が有名で、相当大きな町を想像していたのだが、そうではなかった。

山間を縫った狭い土地にたくさんの工場と民家がひしめき合っている、昔ながらの町として見えた。

途中途中見えるリアス式海岸の美しさも、不安をかき消す材料にはならなかった。

山田町へ入った。

もしキャンプをするなら、ここが最後の砦。

時間的にギリギリ望みがあるので、ここで買い出しをしようと町内を走る。

しかし、ないのだ。

昔ながらの商店街が生きているこの町には、大きなホームセンターが。

もうキャンプは諦めるしかない。ここで覚悟を決めた。

そして魹ヶ崎も諦める決意が必要だった。

すべてはこの天気のせい。

この悪天候でぬかるんだであろう山道を往復2時間歩くのは無理だ。

もちろんそれを確かめてから決めると言う方法もある。しかしすでにかなりの時間をロスしている。その上に往復1時間弱を費やせば、明日以降の予定が全て狂ってしまう。宿を探すにも、かなり不利な時間になってしまうし。

途中見つけた標識の「魹ヶ崎」がむなしく感じた・・・右折し、あとちょっと走ればキャンプ場に辿り着けるのに・・・

でも悔やんで入られない。限りある予算を考え、出来るだけ安い宿探ししなければ。

こんなときiPhoneは役に立つ。

しかし、見つけたホテル二件は廃業と満室。最後の望みを宮古市内に託す事となる。

満室だったホテルのホテルマンは大変親切で、宮古市内の旅館等案内図をくれ、細かく教えてくれた。

宮古市に入り、指示通りに駅へと向かう。

しかしこの町は一方通行が多く、苦労の連続。何度も町外へ出てしまい、再び入るの繰り返し。

ホテルも、市内一件目×、二件目×、三件目も×。しかし三件目のホテルマンがまた親切で、「ここなら大丈夫だと思います」と旅館を教えてくれた。

その旅館を目指し走り始めるが、再び町の外へ出てしまい必死で戻る。

そしてなんとか夜8時ギリギリ前に、その旅館にたどり着く事が出来た。

「泊まる場所を探しているのですが、空きはありますか?」

今日はこの言葉を何度言っただろう。

しばしの沈黙の後、「空いてますよ」の声。

嬉しかった。こんなに嬉しいのは久しぶりだった。

以前の10日間の旅でも、宿泊でこんなに悩まされる事はなかった。

そして宮古市の人の心の温かさを、何度も感じさせられた。

もう何時間も前から、空腹だった。やっと落ち着ける。

部屋に荷物を置き、フロントの方に近所のおいしい店を聞き、その店に入った。

どうせ食べるなら地元のものでと思い、悩んだ挙げ句、ちょっと贅沢をして岩牡蠣を頼んだ。ほかにはサラダと串揚げ、そしてもちろんビール。

最初はきっかけがつかめず話せなかったが、ちょっとした切っ掛けで話し始め、

「バイクで旅しているんです」等々話が弾んだ。

味に満足し、話に満足し、居酒屋を後にする。

部屋に戻って、今日の出来事を書こうとするが、酔いも手伝い限界だった。

気づけば朝の4時まで、意識もないほどに熟睡。

そして約2時間かけて、この日記を書き記した。

今現在、TVで流れる予報は、思わしくない。しかし窓の外は晴。

目的地の青森は、午後から雨の予報だ。


どうしよう?


今日魹ヶ崎へ行き、大間崎を諦めるか?そして日本海へ抜けると言う手もある。

雨をよけるルートだ。

でも俺は決めた。

あえて雨に向かって行こうと思う。どうせ一日振られるも二日振られるも変わりない。

せっかくだから、本州の最北端を拝もうじゃないか!!

魹ヶ崎はまたいつか来られるはずだし。


そうと決めたら出発だ!!!



データー

出発   朝4時45分

到着   夜8時

走行距離 575キロ(茨城県鹿嶋市→福島県→宮城県→岩手県宮古市)

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