2009年4月17日金曜日

01-08ひたすら3800キロ、旅8日目 2003/12/27

朝6時20分起床。さすがに昨日の強行軍の後、夢も見ない程に熟睡だった。7時にたった一人の朝食。この間よりも家庭的な食事。炊き込みご飯と魚の干物が美味しかった。準備をして支払いを済ませ、しっかりと暖機した後7時30分出発。相変わらず風は強い。せっかく暖気はしたもののフェリー乗り場までは100メートル。

定刻よりも5分遅れの8時10分出航。動き出すとすぐ、大きく揺れ始める。そして外海に出たとたん、一昨日の長崎ので揺れを上回る荒波の洗礼を受け、それでも船は加速する。

揺れにもめげず子供達は大はしゃぎ。何でも楽しさに変えてしまう、そのあどけなさが俺にも欲しいと思う。瀬戸内海を見ようと選んだ場所は、船が切り返したので太平洋側だった。しかし高くなりつつある朝陽と、ちぎれた綿菓子のように、でも刻々と姿を変え流れる雲と、凪で眩しく照り返す幾重にも波が重なった海が、最高のコントラスト。何度も写真とビデオに収めた。

波の荒さは、まるで漁船が荒波に揉まれるようで、演歌が良く似合う(笑)。航路の半分あたりまで来ると、波はだいぶ大人しくなった。ここでWaltzInBlueを聞き、続けてsomedaysomewhereを聞くと、すぐに三崎へと到着。

ここからしばらくは、四日目の夕方を逆送するコース。雲の切れ間から優しく、でも直線に差し込む光が海を照らし、神様の光のよう。しかし反対車線なので諦めて走り続ける。風は相変わらず強く、低い気温に輪を掛け、身体は凍える。伊予市へ向かうための分岐が近づいたその時、愛媛を嫌いになる出来事が起こった。

片側一車線、追い越し禁止の下り坂。前方の自動車がブレーキを掛けたため、俺も軽くブレーキを踏むと、突然後続車が追い越そうとしているのがミラーに映ったのだ。制限速度を超えている状態で対向車も近づきつつあるのに、だ。当然、その自動車はギリギリの幅寄せを仕掛けてくる。

俺はいつも、危険な幅寄せを受けたくないために後続車が居るときは道の中央を走るのだ。その自動車の運転手は、余程距離感がないのか俺のバイクの半分以上まで追い越し掛けて、対向車に気づいたらしい。クラクションを鳴らし睨みつけると、諦めて後ろへ戻っていった。スクーターといえば、原付としか思っていないのだろうか?こんなに大きな車体なのに。怒りつつも左折して、今度は国道387を北上。すぐに長いトンネルへ入った。たぶんこの旅の中で一番長いのではないだろうか。トンネルを抜けた途端、強烈な横風を受け車体が大きく揺らぐ。瀬戸内が近づき、風は大人しくなるとばかり思っていたのに。

小さなトンネルを2つ抜けると、見晴らしが良くなった。しかし強風は相変わらずで、波が激しく打ち付ける。

海沿いの道路の上には幾つもの水たまり。きっと時々ここまで波が飛んでくるのだろう、かぶりたくないよな、なんて思っていたら、よりによって一番激しい波が、それも俺のバイクの走った瞬間だけ、吹き出したのだ!ヘルメットの上からフロント全部、もちろんジャケットが水浸し。思わず、「カラリオ」のCMで柴咲コウが波をかぶって叫んだのと同じように濁点三倍で「ギャッ」と叫んでしまう。当然、すぐ岩陰に隠れ、タオルで軽く拭いた。しかし塩の混じった水はいくら吹いてもミラーが白く濁り綺麗にならない。口に付いた水しぶきを舐めると、当然のこと、しょっぱい。しかし昨日から驚くことばかり。粉雪の舞う中を走ったかと思うと、今日は波をかぶった。たぶん波なんて、もう2度とかぶることなんて無いだろうな。長浜町でスタンドに寄り給油。そこでトイレを借りたついでに、ミラーをしっかりと磨く。風さえなければ文句なしに綺麗で快適に走れるだろう国道378。しかし強風に煽られて、走りを楽しむどころではない。加えて右手を遮る山並みのせいで日陰なので、ものすごく寒い。耐えながら走ると、すぐに伊予市に入った。相変わらず日陰ではあったが、町中は建物が風を遮ってくれ幾分ましである。ここでまたまた、愛媛を嫌いになる出来事が。

後続車が異常に煽ってくるのだ。制限速度を超えて走っている俺をだ。さっきの自動車のように幅寄せしながら抜かそうとしてくる。それが駄目だと分かると今度はブレーキを踏めないほど車間を詰めてくる。まったく嫌な自動車だ。怖いので抜かせたが、松山市内に入ると軽い渋滞があり、すり抜けた俺は再び前を走ることとなる。だがその自動車は相変わらずで、相手がバイクでなくてもお構いなしに煽っている。そんな乱暴な運転を見ていると、他の自動車のマナーの悪さも気になってくるものだ。無理に脇道から飛び出して割り込もうとする奴、信号が赤に変わっても止まらないで走りすぎていく奴。どうして愛媛の人はこんなにせっかちで、マナーが悪いのかとしみじみ思った。たぶん今回通った県の中で最悪だと思う。ここで国道196へ。その自動車はこの近くに住んでいるようで、程なく右折し消えていった。尾道までつき合わされなくて良かった、とホッと胸をなで下ろす。北条市からは再び海岸線沿い。だが瀬戸内の島が多くなったためか、波はかなり静かになる。途中ビデオと写真を収めた。海は九州のように澄んでいるが、綺麗なエメラルドブルーではなく、碧と表現する方が適当か。小さな砂浜がその碧の中に溶けるように消えていくのが印象的だった。大西町へ入ったところで、県道15へ折れる。街並みを抜けると国道317に入り、いよいよこの旅で一番高い有料道路、しまなみ海道だ。しかしこの道を通らないでフェリーに頼ると、尾道入りは何時になるか分からない。痛い出費ではあるが、迷うことなくループを走って入り口へ。この道路は未開通区間があって、どのように支払うのか疑問だったのだが、非常に分かりづらくなんと最初は入り口で支払い。その後は高速のようにチケットを受け取り、降り口で支払うのだ。もう少し分かりやすく出来ないものだろうか?自動車では面倒くさくないだろうが、バイクでは支払うたびにグローブを取ったり、お釣りをしまいグローブをはめるために路肩へ寄せなければいけないのだ(ハイカという手もあるのだが・・・)。だがそんな考えも吹き飛んでしまうほどに、雄大な眺めだった。この橋からゆっくりと写真が撮れたらどれだけ綺麗だろう。もっとも、遮るものが何もない海の真上、それもめちゃめちゃ高い場所。バイクに乗り始めてすでに7万キロほど走っているが、未だかつて経験のない猛風に煽られる。それもまた、快感ではあるが。朝から続く寒さに我慢できなくなり、因島の大浜PAでトイレに立ち寄る。そこで地元の人が声を掛けてきた。旅の途中だと伝えると、親切にも尾道への降り方を教えてくれた。感謝である。再び走り始めると、もうすぐだと思う気持ちがはやる。20年もあこがれていた街が、とうとう見えてくるのだ。逸る気持ちを抑えつつ、因島大橋を越える。向島は名前の通り、尾道の向かい。ここからは尾道だ。市境の標識を見て、気持ちがさらに高鳴る。ゆるいカーブを過ぎると、とうとう最後の橋と街並みが見えた。映画で見たのと同じ景色。

左手で力強くガッツポーズをし、やった!!と大声で叫んだ。嬉しさがたまらなくこみ上げてきた!!

とそこで、予想もしていなかった不思議な光景に出くわす。天気雨だ。この旅は、いろいろな天気に出くわした。この天気雨もきっと忘れることが出来ないだろう。尾道大橋を越え、国道2のバイパスから国道184へと折れる。まずは宿泊場所を探そうと駅前を走るが以前調べて置いた観光案内所らしきものが見あたらない。そればかりか、駅前は再開発をしたようで小綺麗になっている。20年のブランクを思い知ることとなった。どんなに歴史の残る街でも、街並みは変わっていくものなのだ、と。ぐるっと一回りしたがさっぱり分からないので、最初に出くわしたホテルを選んだ。後で分かったことだが、他の旅館を選んでも数百円しか変わらなかった。それにこのホテルの場所は、運良くさびしんぼうのロケ地へのアクセスがし易かったのだ。この偶然にも感謝しなければいけない。午後2時過ぎチェックイン。部屋に荷物を置いて、まずは昼食をとることにした。駅前でラーメンを食べた。幅が狭い平麺で油の浮いた醤油味のスープだが、あっさりしていて美味しかった。その足で、駅で見つけた「おのみちロケ地案内図」を見ながら、まずは東側を目指した。渡船の乗り場はすぐに分かった。海沿いに新しく立派な歩道があるにも関わらず、渡船のすぐ脇は映画の頃のまんま。古びたコンクリーの堤防の上から、さびしんぼうの主人公ヒロキのようにファインダーを覗く。傾き始めた夕陽が、渡船の立てたさざ波に輝き、映画を彷彿とさせる。この街は、こんなにも綺麗な風景が、当たり前のように毎日繰り返されている。尾道の魅力はそんなところにあるのだろう。

次は、ヒロキが小僧姿で走った商店街。前もって映画を見返さなかったことを後悔した。はっきりとどの場所かは特定できなかったのだ。しかし百合子が自転車で商店街から路地へと抜けていった場面を思い出し、それらしい場所は見つけた。そこから引き返し、今度は駅を越えた所で北側を歩く。この辺りは昔ながらの家や、人しか通れないほどに細い路地が目立つ。映画に出て来た千光寺公園への登り口を探したが、細い路地を何度も迷い、気づいたら栗原川まで来ていた。最後にもう一度探そうと諦め、西側のロケ地を目指すことにした。またしても、何度も何度も道に迷う。でもこの街は、迷っても焦る気が起きない。かえって楽しいのだ。まったく不思議な街だ。次は一番行きたかったヒロキの家、西願寺。尾道大橋を渡っている時しっかり目に飛び込んできたので、すぐ見つかるだろうと思っていたが、間近の路地からでは家々の陰に隠れ、高い場所が全く見えない。何度も丘沿いに向かっては戻り、何度も線路沿いに行ったり来たりした。坂を上るたびに息は切れ、汗が噴き出す。その間にも陽は傾いていく。またしても天気雨。太陽と古い家と、雨のコントラストが素晴らしく、ビデオに収めた。しかし西願寺は見つからない。赤く染まり掛けた流れる雲が、ipodから流れるさびしんぼうのサントラと相まって、自分が映画へ溶け込んでしまった気分。

年輩の地元の人に場所を訪ねて、今いる場所よりも右か左かを教えて貰おうと思ったら、親切にも詳しい人に聞いてくれて、その人から直接道を聞いた。親切に恵まれたことに、改めて感謝しなければ。この旅は、人の親切が身にしみる旅だ。説明は非常に分かりやすく、数分で辿り着くことが出来た。はじめから聞いておけば良かったかな、とちょっと後悔。今度も又階段ではあるが、目前に目的地があると自然と足も軽くなる。ヒロキが何度も行き来したであろう階段を上がり、境内へ入る。

さびしんぼうのタツ子と年をとったタツ子が逃げまどうシーンが、目の前の景色に重なって見えた気がした。

フキばあちゃんの居眠りする縁側、ぼけ防止で指数えをするお墓。この場所だけは、どうやら記憶にすっかり焼き付いていたようだ。お騒がせしてすいませんと心の中で手を合わせ去ろうとしたとき、磨かれた小さな石碑が目に留まる。そこは偶然にも美術監督であった薩谷和夫氏のお墓であった。手を合わせ、目を閉じ、映画の素晴らしさを教えてくれたことに、そしてこの地に来られて再び感動を味わえたことに、感謝を伝えた。次はお寺下の四つ角。タツ子とヒロキが会話を交わすきっかけとなった場所だ。自転車のチェーンが外れ、言葉を交わすきっかけが生まれた、最も好きなシーンである。いかにも映画らしいけど、実際にもありそうな、自然な出会いだった事を思い出す。5時を過ぎ、夕焼けの中、一度、二度と寺の鐘が鳴る。こんなに間近で聞いたのは初めてだ。迷って遅れたことが、またしてもこんなに素晴らしい偶然を生んでくれたのだ。ここで陽が暮れてしまったので、残りは明日の出発前に巡ることにした。ホテルのフロントでおすすめの場所を聞き、昼間通り過ぎた商店街を抜けた先に昔からある食事処へと入る。店の売りであるオコゼの料理が食べられるコースにした。

野菜の炊き合わせ、小鉢が2品、クラゲ酢、赤かぶとイカのゴマ和え、オコゼの唐揚げ、そしてウニ飯の計7品。お酒も飲まないのに、ゆっくりと時間が流れる。この旅で一番豪華で、一番高い食事だったが、質の高い料理と雰囲気に大満足だった。そしてその余韻を味わいながらホテルへと帰り着いたのは7時半。日記を書き始めて、すでに3時間が経ってしまった。

今日の移動距離は短かったけど、充実した一日だった。あとは鹿嶋に向けて帰るだけ。しかし昨日の夜、判明したことが一つ。徳島から東京行きのフェリーに乗るためには、もう一泊しなければ無理なのだ。しかも年末。乗れるかどうかも怪しい。そこで考えられる帰り道は2つ。下道をひたすら走り、もう一泊する。もう一つは寒さを我慢して、止まらず泊まらず夜通し走るかだ。今のところ、後者になる確率が高い。後は天気次第だろうか?


データー

出発   午前7時30分

到着   午後2時過ぎ

走行距離 210キロ(大分県北海部郡佐賀関町→愛媛→広島県尾道市)

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