2009年4月17日金曜日

01-07ひたすら3800キロ、旅7日目 2003/12/26

朝6時30分起床。窓の外は闇。備え付けのお茶を飲み目を覚まし、着替える。7時に朝食。至って普通の朝食。残さずかき込んで、部屋へ戻って荷物を抱えフロントへ。昨日の親切な人は居なかったが、代わりに支配人らしい人と若い人が居た。若い方の彼はバイク乗り。こちらに興味があったようで、話しかけてくる。ツーリングが好きらしく、こぼれるような笑顔で聞き入っていた。外は予想通り寒く、でも朝見た予報での雪の確率の低さに、何とか今日は濡れずに済みそうと安心する。7時30分、暖気をしっかりとして出発。大都市らしく、速い速度で町中を流れる。曇り空で灰色の街は、夜の華やかさとはまた違う一面を見せる。平和記念像、浦上天主堂、爆心地を巡りながら、戦争の恐ろしさを実感し、何度も平和を祈った。いったいアメリカは、なぜこんな場所に落としたのだろう。小高い丘に囲まれた真ん中に落とせば、爆風は逃げ場を失い、その中にいる人全てを苦しめ焼き尽くすことなど、たやすく想像できただろうに・・・

長崎を狙ったのは、それが目的だったのだろうか?

戦争の恐ろしさ。侵略され、大量に殺害されたことのない国には分からないのだろう。イラクへ侵攻したことからも、想像がつく。歩道橋の上から路面電車を写真に収め、国道34にのり長崎を離れる。途中、ビデオテープを使い切ってしまったことを思い出し、コンビニへ寄った。

諫早市に入るまでは朝の渋滞もあり、止まる程ではなかったが割と遅いペースだった。やがて快調に流れ始め諫早湾が見えたところで、干拓工事現場の警備員に話を聞いた。

水門の向こうに見えるのは普賢岳。写真を撮りたいが綺麗に写せそうな場所はないかと訪ねると、この先すぐに運動公園があるとのこと。愛想も良く、気分良くその公園へ向かう。確かに良く見渡せた。遮るものなく、遠くなく、しっかりと収めた。北高来郡に入ると道路脇に変な建造物が時々現れた。ミカンであったり、リンゴであったり、メロンであったり。スイカやイチゴまである。のぞき込むとバス停だった。あまりにも珍しかったので、写真に収める。退屈しのぎのバス停に喜んでいると、程なく佐賀県に入った。意味もなく、頭の中をはなわの歌が繰り返し繰り返し流れる。

有明海は穏やか。沿岸には規則正しく並ぶ何百もの棒。海苔の養殖だろう。鹿島市に入るが、茨城の鹿嶋と比べると静かでのどかな雰囲気。あまりの寒さに缶のお茶を買い両手を暖める。スタンドで給油したついでに道の混み具合を聞くと、佐賀市内を過ぎたのち久留米市までは年末と言うこともあり混むらしい。そこで、昨日から考えていた海の近い国道444へと進路を変える。遮るものが何もない田畑の間の道は、快調に飛ばせるが、その分風をもろに受け身体が芯から冷えてくる。それだけでも十分なのに、小雨が降り出す始末。ヘルメットのシールドを閉めないで走る俺にとって、雨は大敵。凍える頬が、さらに冷たくさらされる。しかしカッパを着るほどでもないのでそのまま走り続けると、程なくやんだ。

この国道444は交差点に差し掛かる度に右へ左へと何度も折れる。間違うと大変なことになるので、標識を注意し見ながら先を急いだ。

渋滞とは無縁で、この道への選択は間違っていなかったようだが、やはり筑後川を越え福岡県に入ると混み始めた。寒さに震えながら、どんどん過ぎていく時間ばかりが気になる。その混雑は国道442で八女市を過ぎるまで続いた。周りが山になると、再び小雨が降り出す。黒木町、矢部村へと進むに従って標高はどんどん上がり、道も狭くくねり出す。天気が良く寒くなければ快適なワインディングなのにな、と思ってみても天気を変える力など有るわけもなく、相変わらず小雨は降り続いた。

果たして中津江村にたどり着けるだろうか?と気になり始める。途中にあった日向神ダムは綺麗だった。切り立った斜面の一枚岩と湖面を写真とビデオに収めるも、休んでいる余裕が無い気がしてすぐに走り始めた。

竹原峠が近づくにつれ、道は国道なのに自動車1台がやっとの幅となり、低速でないと走れないほどの急カーブばかりが続く。

そしてとうとう、一度止んだ雨がさらさらと舞い始めたのだ!雪だ・・・降る確率は低いはずなのにと思っては見たが、ここは長崎も佐賀も越えた福岡、しかも峠を越えれば大分県なのだ。広域の天気を気にしなかったことを改めて悔やむ。

国道442は大分県中津江村に入ると、なぜか綺麗な路面と2車線。どうやら整備が進み始めているようだ。

そう、高速を通す前に、こんな整備を優先させなければ。高速が繋がり便利になる人が居る反面、今まで通っていた自動車が来なくなり寂れる街もあるのだから。まずは生活に必要な道路が優先されるべきだろう。山の多い日本、まだまだ手直ししなければいけない道は山ほどある!キャンプ地を見つけ立ち寄ると、すでに午後1時30分を過ぎていた。そこはなんと道の駅!昔金山があったようだ。グラウンドは修復中だったので見られなかったが、土産やレストランのある建物には入れたので、ここで昼食をとることにした。地元の人なのだろうか、施設内の従業員は皆、人なつっこい感じがして話し易かった。頼んだのはもちろん、カメルーン弁当。ここまで来てこれを頼まなかったら罰が当たるでしょう。お客は俺だけだし。肝心の味はと言うと、カメルーンという南国柄、もっと濃い味と勝手な想像を膨らませていたが、意外にもあっさりと食べやすく美味しかった。一緒について来たうどんも、汁の味付けが普通と違うようで新鮮だった。食べ終わると、従業員がカメルーンのコーヒー飲みませんか?と聞いてきたのでご馳走になることにした。あまりコーヒーを飲まない俺にも違いが分かるほど、不思議な淡い味。でもさっぱりしていて好みかも。背後の窓の外では、又降り出した雪。さっきよりも勢い良く、風に流され。会計を済ませ大分へ降りる道を聞くと、親切丁寧に教えてくれた。写真を撮って欲しいとのお願いも快く聞き入れてくれ、ちょっとした冗談交じりで写してくれた。骨まで冷える寒さの中に感じた、人の温かさ。中津江村の人々の良さを垣間見、次へつなぐエネルギーを貰った。しかし外へ出ると、それをかき消すほどの寒さ。しかしめげてはいけない。阿蘇を諦めると決めた分、なるべく早く佐賀関まで戻り、明日の尾道に備えなければ。この分ならあと2時間半で帰り着けるだろうと、再び走り始める。下り坂のカーブを走りながら、何度も雪が降っては消えた。国道387で熊本県に入り、小国町を越えた辺りで雲を被った雄大な阿蘇山が見えた。走っているときには気づかなかったのだが、山頂はうっすら白く染まっていた。麓まで行きたいという衝動が再び芽生えたが、心を鬼にしてそのまま国道387を走る。ここで県境を再び越えもう一度大分県へ。九重町をしばらく過ぎた後に、進路を変え国道210にのる。大分自動車道がすぐ近くを走っていて多少は開けているはずなのに、気温はどんどん下がっていくばかり。

指先がちぎれるほど冷え、足がガクガクふるえ出す。暖をとろうとしても、自販機さえない。そんな我慢の時間が続く。

水分峠を過ぎやっと道の駅が現れた。ゆっくりしている余裕などないとは分かっていたが、このまま走ると手元が狂い事故を起こしてしまいそうなほどに弱っていたので、駐車場へバイクを止め、トイレに行った後、インフォメーションコーナーで暖をとった。空は今日始めてみる晴れ間。雲の隙間から少しだけ顔を出した日の光が眩しすぎる。あまりの美しさに、何度もシャッターを切った。どのくらい休憩したかは覚えていないが、その光景に勇気を貰い再び走り始めた。しかし体感温度は変わることなく寒いまま。山肌が一部禿げ山の由布岳を越えるまでは、記憶に残っている。でもその先は、寒いという感触以外何も思い出せない。今日の出来事をここまで書くにも、記憶を一つ一つたどりながら、大変時間がかかった。

それほどまでに、身体は寒さで麻痺してしまっていた。特に、景色を見る場所もなかった大分市内は、全く思い出せない。

覚えているのは、佐賀関に入る直前突然渋滞したことと、それを避けようと道に迷いいつの間にか同じ場所に戻ってきて悔やんだこと。そして佐賀関で、海から吹く強風と、街路樹や商店の照明に照らされ闇に浮かぶ打ち付ける白い波。それだけ。4日目と同じ宿にたどり着いたのは、すでに夜の6時半を回っていた。当然すっかり暗闇の中。荷物を部屋に置かせて貰い、前回食べられなかった関サバの料理屋へ行く。関サバ・関アジの刺身と煮物の定食。煮物はとろけるように柔らかく、刺身はプリプリし身が締まって噛みごたえがあり、最高に美味しかった。帰り道、寂れたコンビニでビールを買い部屋へと戻る。風呂は凍えた体にちょうど良い温度で、ゆっくり浸かれた。これでビールを飲んだら、今日も熟睡だろう。そして明日の昼過ぎにはいよいよ、長年の夢であり最後の目的地、尾道へ。

この旅の締めくくりだ。

半日でどれだけ歩けるか分からないが、しっかりと記憶に焼き付けたいと思う。


データー

出発   午前7時30分

到着   午後6時40分頃

走行距離 334キロ(長崎県長崎市→佐賀→福岡→大分→熊本→大分県北海部郡佐賀関町)

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