2009年4月17日金曜日

01-10ひたすら3800キロ、旅10日目 2003/12/29

午前5時30分起床。睡眠時間が短かったため、いつもより眠い。しかし今日は、いつ帰り着けるか分からない程長い距離のため、気合いを入れる。午前6時チェックアウトし、10分ほど暖機してスタート。まずは路地を抜けて国道2を東へ。道なりに進んでいくと進行方向が赤らみ始める。道路情報によると気温は1度。思っていたほどに冷え込んではいないようだ。周りの自動車は信じられないスピードで走り去っていく。合わせようとするが、時々付いていけない。左のレーンに進路変更しようとしたら、突然後ろの自動車からクラクションを鳴らされる。どうやら俺の走りが周りにあっていなかったせいで、抜きたくても抜けなかったらしい。ウインカーを消して譲ると、その自動車は凄い勢いで追い抜いていった。今度はクラクションを長鳴らし。あまり気分のいいものではないが、愛媛の時とは明らかに違う。言葉に喩えるなら「とろとろ走るな。俺は先に行きたいんだ。」だろうか。ネチネチ追い回すのではなく、あっさりとしている印象を受けた。神戸から30キロ弱走ったところで、国道163へと逸れる。昨日パソコンで選んだルートだ。大阪は東京のように人口が密集した都市なので、それぞれ面積が狭い。ぼうっとしていると、簡単に2〜3の市を過ぎていく。その間、道路情報によると気温は2度、3度と上がっていた。この調子ならすぐ暖かくなり、快適になりそうな予感さえする。道は幸い渋滞もなく、至って快調。見つけた吉野屋で朝食を取る。今となっては食べられない牛丼大盛りだ。再び走り始めるとあっと言う間に大阪は過ぎてしまい、京都府と入る。

突然気温が下がった気がしたのは勘違いではなかったようで、市街地を越え少しずつ家々が減ってくるたびに、そして高度が上がるたびに身体が冷えていく。道のくねり具合は最高なのに・・・仕舞いには田畑に霜が降りている始末。でも国道沿いなのだから、山を越えれば家々がいっぱいあってこれ以上下がることはないだろうと、安易に考えていた。しかし寂れるばかり。日差しはあっても、それを上回る冷え込みが体温をぐんぐん奪っていく。指先は凍え、これまで一度たりとも感じたことのない冷え込みは、防寒ジャケットの中までしみ込んでくる。

なんという寒さだろう!雪が降ったわけでもないのに!当然のことだがこれだけ寒い土地、雪も降るようで、いつのものか分からない雪が山肌に残っていた。次第に山陰が増え、体温ばかりか日差しさえも奪っていく。道路が凍っていないのが幸いだったが、ハイペースで走り風を全身で受けている分、体力の消耗は激しい。対向車にバイクの姿がないのが、分かる気がした。

相当根性がいるよ、冬のこの道は。それでも今日は引き返すわけには行かない。この道は確実に近道なはずなのだから。道路のすぐ脇に線路を見つけたので写真を一枚。線路沿いの草むらと、山肌の霜の具合が、見る人に寒さを感じさせるだろう。登りとは違い下りはカーブも緩やかで、数少ない周りの自動車に会わせて走るとスピードは上がっていく。

大阪が近いのに、暖を採るための自販機もコンビニもないとは!程なく、この旅2度目の三重県に入った。しかし三重県の海沿いと山中がこんなにも違うとは思ってもいなかった。熊本と大分で感じた以上の落差だ。上野市へ入ったのは9時少し前。すぐにコンビニが出現。もう限界!と飛び込んで、さっき食事をしたばかりなのにカレーうどんとお茶を買った。

うどんが出来上がる5分を待つ間、お茶で手を暖める。なかなか震えが止まらない。指先に神経がないほどに凍えていた。路上に置いたうどんの蓋の隙間からこぼれる湯気が、まるで工場の煙のように流れていく。5分は長かった。でもそれをかき消す程に暖かく、即席麺がこんなに旨かったのか?と思える程だった。すすり始めるとすぐに、暖かさが血となって駆けめぐり全身を震わす。カップを持つ手はぶるぶる震えだし、スープがこぼれそうになる。その震えを抑え、一気に流し込む。傍らではバイトの若い娘がゴミの選別をしながら時々こちらを覗き込んでいた。スープまで飲み干し食べ終えたところで、そのバイトもゴミの処理が終わったようだったので声を掛けて見る。「旅の途中で初めてここを通ったんですけど、こんなに寒いとは思わなかったですよ。」と切り出すと、「でも雪が降らなくて良かったですね。」とのこと。やはり雪が当たり前のように降る地域だったようだ。「でも大分では降られてしまったんですよ。」などと話しここまでの道のりを簡単に説明すると、そのバイトは大変驚き「日本一周ですか?」と聞いてきた。本当はそうしたかったのだけどね・・・「気を付けて帰ってください。」との言葉を残し、バイトは店内へ。俺はもう一度お茶で手を暖め、それも飲み干した。もしこの後も山が続けばトイレに行くのは困難かもしれない、とそのコンビニで借りた。20分ほどの休憩の後、再びスタート!体内から暖まって、会話で心も温まったので、寒さはずいぶん和らいだ。それに合わせるかのように道は町中へと入り、平地が続いたおかげで日差しも十分に浴びながら走れた。看板には国道25の文字。バイパスに入ったら給油が難しくなるので、ここで今日1回目の給油。満タンで振動もなくなり、快適な加速のまま国道25のバイパスへ。当然のことながら、バイパスは自動車の流れが速い!合わせることで温まった身体は、再び体温を奪われていく。しかし気温はさっきよりだいぶ上がっているのか、それほど気にはならない。

長い直線を過ぎ、いくつかのワインディングを経験すると鈴鹿市に入り、山も完全に下り切りやがて国道1に出くわした。ここからは、どれだけ長くても道から逸れなければ東京に帰り着けるのだ!

だが距離はまだまだある。今日の行程のたった5分の1を走っただけ。心して国道1へと進路を変えた。

しかし急な暖かさに勝てるわけもなく、眠気は確実に襲ってくるので、昨日買っておいたガムを噛みながら目を覚まして走り続ける。

四日市市へ入ると工業地帯が目に付く。故郷鹿嶋に似た景色と、風も収まり暖かい日差しに包まれ、さっきまでの凍える寒さは夢のよう。

市内に入ると、海沿いを走っている国道23に合流。この先国道1は名古屋市内を目指して内陸へ向かっていくので、進路を国道23へと変える。

木曽川の橋を渡るとその先には、太陽に暖かく包み込まれ輝いている伊勢湾が見えた。8日ぶりにみたその湾、前回は外から中を、そして今は中から外を。東京湾に似た穏やかさに、改めてその大きさを知る。国道25は海から離れ一度名古屋市をかすめ、さらに海沿いを走っていた伊勢湾岸自動車道の下へと入っていく。やがて再び国道1へと合流した。安城市の看板が見えたとき、ふと思い出した。10年前に大病を患い入院した時、数週間だけ相部屋になった人が暮らしていた町だ。今は後遺症も回復して元気になっているだろうか?確かめたいけどその術はなく、諦めつつも先を急いだ。ここまでは渋滞もなく快調。このペースがこのまま続けば思ったよりも早く帰れそうだ。やがて見慣れた看板を目にする。

豊橋市。一日目、沈み掛けた夕陽を追いかけ国道1から国道42へと進路を変えた場所だ。つい昨日のことのように思い出せる。萎んでいく気持ちも、今は嘘のよう。行きに気になっていた浜名バイパスの看板が見えた。有料ではあるが、まっすぐな道と高い橋の上から浜名湖を眺めてみたいと思い、そこへ入っていく。

流れる自動車は高速道路のように早く、しかし車間は十分にあるため快適だ。宮崎の一ツ葉有料道路を思い出す。残念ながら橋の上は駐車禁止の為じっくり眺めることは出来なかったが、揺るかな登りの橋のおかげで、しっかりと浜名湖を見ることが出来た。なぜだか無性にウナギが食べたくなってしまった。静岡県に入り浜松を過ぎると、アントラーズの宿敵であり永遠の好敵手、ジュビロの本拠地磐田市に入った。ウナギを思い出したせいか腹が減り、まだまだ先が長いこともあったので、ここで昼食をとることにした。さっきは吉野屋、今度はすき屋だ。俺はこちらの方が好み。牛ののったカレーライスを食べ、駐車場で地図を確認し、再びスタート。有料の磐田バイパスを通ることも考えたが、下道を走った。すり抜け出来ることもあり、渋滞に止められることも少なく、じきに袋井市。

食事の後の眠気がおそってくる。もう一度ガムを噛み、目を覚ます。ここからは一日目の渋滞を思い出し、藤枝バイパスを走った。このあたりがちょうど、今日の旅の折り返し。なのにもう、太陽は傾き掛けている。いったい何時に帰り着けるのだろう、と心配が過ぎる。バイパスを過ぎると、道の駅を見つけたのでここでアパートの大家さんへおみやげを買うことにした。静岡らしく、狭い店内にはお茶が並ぶ。その中から選んで買い、外でコーヒーを飲んで再び走り始める。静岡市を越え、随分久しぶりに感じる海に出会した。ここは駿河湾。この旅では荒れた海ばかり見ていたためか、信じられないほど穏やかな海に見えた。

進行方向には、一日目には綺麗に見えなかった富士山の姿。心落ち着く。

駐車禁止ではあったが、路側の広い場所を見つけ写真とビデオに収める。その先にもっと綺麗に見える場所もあったが、停車している自動車もあり、そのまま通り過ぎた。

道の駅を見つけたので、陽が沈む前にもう一度バイクと富士山を収めようと、止まることにした。

山の向こうに陽が沈み掛けている。富士山頂には、帽子のような雲。風が強くなってきているのだろうか、見る見る成長していく。しばしその様子を眺めながら、写真とビデオに収め再び走り出した。夕陽に背中を押されながら、充実感という暖かさに包まれる。なんと気分のいいことか!バックミラーに映る夕焼けを時々眺めながら、暮れゆく国道1を走る。

やがて陽は沈み、ミラーに映るのは、そこにあったはずの太陽の余韻だけ。オレンジ色は、宵闇に溶け消えていった。いよいよ最後の難関、箱根へと入った。さっきまでの暖かさは、カーブを一つ過ぎるごとに消え、高度が上がっていくたびに寒さが増していく。道路情報によると、雪・凍結注意とのこと。フュージョンはスクーターの為ニーグリップが出来ず、横滑りには非常に弱いのでやむなくスピードを落とす。

切り立ったカーブの向こうには、沼津の町明かり。カメラに収めたかったが止める場所もなく、記憶だけにとどめることにした。

峠の頂上でパーキングへと寄る。標識の通り、ここには凍った雪が残っていた。グリップの弱い靴のため、危うく滑りそうになる。忙しくトイレを済ますと、再びスタート。雪のことも考えカーブの少ない有料の箱根新道を走る。急カーブが続く七つ曲がりは特に慎重に走った。

料金所でお金を払い、一般道へ出ると今度は有料の西湘バイパス。しかし今までの軽い渋滞が頭を過ぎり一般道を走ることにする。狭めの国道は、今日初めて感じる生活の臭いで溢れていた。家庭の夜食の匂いであったり、操業している工場の薬品の匂いだったり。

その匂いに包まれながら、小田原、平塚、茅ヶ崎、藤枝と抜け鎌倉市へ。行きは山中を抜けたので、中学校の修学旅行以来だ。そしてすぐに横浜市へと入った。

ここまで来ると昨日までの夜の寒さは嘘のようで、風もない穏やかな暖かい空気に包まれる。都会へ来たことを肌で実感した。有料道路の新横浜道に入った途端、自動車の加速はぐんぐん増し、次々と追い抜かれていく。ある程度は流れにのったが、無理せずに先を譲った。ここまで来て、幅寄せなんて嫌な思いはしたくないし、まして事故なんて絶対に嫌だから。多摩川を越えるといよいよ東京都!看板を過ぎた瞬間、手放しでガッツポーズをした。喜びが胸の奥からこみ上げてくる。後は千葉県を越えるだけだ。もうすぐなのだ、我が家は。東京まで50キロ近くあった距離はあっと言う間に縮み、再び国道1へ降りたときには10キロ台にまで減っていた。この辺りから、標識には東京ではなく日本橋の文字。国道1の終わりを感じる。東京タワーのライトアップに歓迎され、皇居を過ぎ、帝国劇場。見慣れた景色が次々現れ、帰って来たんだという実感が、さっきまで無口だった俺に言葉を吐き出させる。

「帰ってきたよ、帰ってきたよ。」と。大阪はせっかちという人がいるけれど、最近の東京は十分にせっかちだと思う。ウインカーさえ出さずに進路変更する自動車に何度も出くわした。しかし帰ってきたという充実感が、怒りさえ感じさせない。

「まぁ、いいじゃないか。」と。そしてとうとう、国道1の起点であり終点でもある日本橋へ到着した。ここで箱根以来の休憩を取る。バイクを手で押し、橋の欄干に止め写真を収めた。まだ家に帰り着いていないのにこの充実感は、いったいなんだろう。14歳の東次郎少年も、きっと同じ気分を味わったんだろうな。俺は10日間で4000キロ弱。彼は10日間で1500キロだが、今から40年も前のこと。そのころの国道1は、舗装の道など少なく完全にオフロード。しかも50ccで走ったのだ。

彼の凄さを、ここへ来て実感した。飛んでもない男だったのだ、と。旅の余韻に浸りながらも再び走り始めたのは午後9時10分。出発してからちょうど15時間。思えば疲れさえ感じることもなく随分走ったものだ。国道4をほんの少し走り、国道6を走る。程なく江戸川を超えた。さっきまでの暖かさが消え、ここへ来て急激に冷える。

国道464へ逸れると、寒さは確実なものになった。だがもうすぐ帰れるという実感が心励まし、指先は凍えているのに辛ささえ感じさせない。国道464を流れに乗って走るが、いつもながらのものすごいスピード。市街地を過ぎると長い直線になるため、あっと言う間に過ぎていく。ここでいつものコンビニを見つけ県道4へと進路を変更。いくつかのカーブを過ぎ下り坂を過ぎると、とうとう利根川が見えた。そして国道356を川沿いに走る。川に向かって「ただいま。」とつぶやきながら。ふっと寂しくなる。去年の今日、俺はこの道を打ちひしがれながら走っていた。互いに好きであるのに一緒の未来が見いだせず、同意して選んだ別れ。泣きながら走り続けた5時間。でも諦めていた夢、物語を書くことで何とか乗り切り、そしてこの旅で勇気を取り戻し、本来の自分に戻れた気がする。

この1年は想像もつかないほど辛い日々だったけれど。土手沿いの、何もない道路脇に佐原市の看板。後は、東町、潮来市を越えるだけなのだ!再び喜びがこみ上げてくる。メーターに目をやると、いつの間にか今日の走破距離は600キロを過ぎていた。佐原市内で国道51にのって、橋を越えると、とうとう故郷茨城県。走りながら大きなガッツポーズをした。ここで最後の給油。この旅の総まとめ、どれだけの燃費で走ったか知るための重要な給油だ。スタンドのお兄さんと話をしながら、終わるのを待つ。カメラでメーターを写しているのを見て声を掛けてきたので旅の話をする。10日間掛けて3800キロを走ってきたと教えると、ものすごい驚きよう。寒くないですか、とか色々聞いてくるのでついついしゃべってしまった。再び国道51を走る。左手の小さなショッピングセンターを過ぎると、昼間でも見えはしないのだが右手の山の上に広大な墓地がある。高校を卒業し、しばらくの間お世話になっていた人が眠る墓地だ。

「とうとうやり遂げましたよ。帰ってきましたよ。」とつぶやく。喜びとも、悲しみとも言えない、複雑な気持ちが心を満たす。気づけば俺も、来年はその人が亡くなった年と同じになる。時間の早さを痛感した。ここからは町中。線路をくぐり、市役所を過ぎ、有料道路の入り口を通りすぎる。やがて国道51のバイパスと交差して、旧神宮橋。右手には10日ぶりの工業地帯の輝き。懐かしさよりも、安堵の気持ちがこみ上げてくる。そして橋の終わりを迎えるためのカウントダウン。5.4,3,2,1!

とうとう故郷に帰り着いた!やったんだ!その余韻を感じたまま、路地を抜けアパートへ帰り着いた。時間は午後11時40分。近所のことを考え、アパートの手前でエンジンを切って押して歩いた。10日ぶりの家。ゆっくりしたかったが、旅の記憶が消えないうちに書き記さなければ。そう心に決め、ヒーターで暖まりながら書き始める。2時間冷やされ続けた身体は、なかなか温まらない。夜食もまだだし風呂にも入っていない。しかし書き終えないうちはどちらもしないと、一心不乱にパソコンに打ち込む。だが寒さを紛らすために布団に潜り込んでしまったのがまずかったようで、眠気に勝てずいつの間にか眠ってしまった。熟睡した。夢も見た。旅の報告をしている内容だった。

目覚めは9時。歯も磨かず、再びパソコンに向かい、今やっと書き終える。すでに午前11時。今日は忙しい。大家さんにおみやげを届け、社長やKさん、そしてTくんにも報告しなければ。


データー

出発   午前6時10分

到着   午後11時40分

走行距離 674キロ(兵庫県神戸市→大阪→京都→三重→愛知→静岡→神奈川→東京→千葉→茨城県鹿嶋市)

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