2009年4月17日金曜日

01-05ひたすら3800キロ、旅5日目 2003/12/24

朝5時50分起床。昨夜食堂の帰りにビールとつまみを買った。アルコールのせいか目覚めは早かった。ビジネス旅館はかなり古い建物で、窓ガラスも薄く脇の国道を通る自動車のタイヤの音が良く聞こえていた。7時に1階の食堂に行くと、すでに食べている人がいた。俺を含めて3人。目玉焼きや納豆、他数品の質素な朝食だったが、この旅で一番ご飯がうまかった。食事を終え部屋に戻り支度をし会計を済ませる。女将さん(おばあさん)といろいろ話していると一つの疑問が解決した。やけに社員寮のような作りだと思っていたら、近くにある大きな工場へ鉱石などを納入する海運会社の社員寮だったのだ。不況で社員が減り、海外の船員も増えたことで一般のお客さんを取るようになった。しかし訪れる客に分かりづらいため最近看板を掲げたとか。古くても、この料金と人の温かさは何ものにも代え難い。帰りにももう一度寄りたい、そんな気にさせてくれる旅館だった。外に出るとここ数日と違い、朝早いにも関わらず明らかに暖かい。当然まだ朝焼け。かすむ空気の中、国道217を臼杵市、津久見市と走り抜ける。波もほとんどない静かな海は新鮮だ。県道36に入り山間を走ると、急に空気が冷え込む。標識に従って県道219へ折れ国道10に合流。空気はさらに冷え込む。途中の道路案内板によると気温4度。しかしここ数日の夕方に慣れているためさほど寒くは感じない。延々と続く適度なワインディングに、バイクを操る楽しみが増す。と突然、昔ながらの造りの寂れた駅を発見。こんな駅を写真に収めたいと思っていたので、通り過ぎていたのを引き返す。どうやらここは映画のロケ地のようだ。案内の看板には大林宣彦「なごり雪」とある。この旅の締めくくりは尾道と決めていた俺には、こんなに素晴らしい偶然はない。写真とビデオを収めていると、犬をつれたおばさんとすれ違い、挨拶したことがきっかけで5分ほど話すことが出来た。撮影の時のエピソードや、鉄道が開通したときから変わっていない駅舎とか、昔ここで売っていた饅頭の話とか。ショックだったのは、数年後にこの駅舎が取り壊されてしまうと言うこと。なんてもったいないことをするのだろう。どうして何でも新しいものに変えようとするのだろう。古き良きものが残るべき権利もあるはずなのに・・・たまらずおばさんに、こんなに懐かしい雰囲気の漂う駅なんてもうほとんど残っていませんよ、残すべきですよ、と伝える。そうですかぁ、と聞いてくれていた。そしてお話しできて良かったです、と別れの言葉を残し再びバイクで走り始める。山間のこの辺りは路面が濡れていて、この旅初のリア滑りを経験。

カーブの多い坂を下りながら、13番目の県宮崎に入る。今の今まで一生縁がないかもしれないと思っていた県に、とうとう入ったのだ!さっきの駅のように、映画に出てくるような細く頼りない昔ながらの鉄橋と、道路が何度もクロスしていく。朝靄に煙るその姿は、まるでファインダー向こうの芸術写真。バイクを止められる場所を見つけて撮った。残念ながら最高のポイントは逃してしまったが、良い写真が撮れたと思う。ガソリンの赤ランプが点滅し始めたが民家もない場所なのでスタンドはないし、まだまだ大丈夫と先を急ぐ。横を流れていた川幅が急に広くなると延岡市。土々呂で海に再会。空気も暖かい。日向市を過ぎると、景色は完全に房総半島の南東と同じ。懐かしく感じながら走っていると、幅の広い一ツ瀬川を越える。宮崎市は市内を走るかどうか悩んでいたのだが、ガソリンがまだ持ちそうなので有料の一ツ葉道路を走ることにした。出発して4時間半、12時を過ぎていた。ここまでは至って快調。目に映るのはテレビでしか見たことのない景色。中央分離帯にシュロの木が連なり、沿道には防砂林。そしてひたすらまっすぐな道路。九十九里有料道路なんて比べものにならないほどの素晴らしい景色。気温が高いせいで、彼方は霞んでいる。途中のパーキングで一休みし、この旅で初めて砂浜へ降り立った。真っ白な砂に、真っ青な海。記憶とカメラ、ビデオに焼き付ける。宮崎は、バイクの防寒ジャケットでは暑すぎるほどに暖かかった。南の異国に来ていると錯覚する、そんな夢のような時間は過ぎ、市内へと入る。さすがに県庁所在地は大きい。真っ平らな土地に延々と拡がる都市。道路も広く、さほど混むこともなく流れていく。しかし異変は突然訪れた。信号に止まるとエンジンの回転が不安定にばらつきだし、アクセルをひねると、ボボボッと唸った。以前バハ(ラリーで使うような形のオフロードバイク)で経験した、リザーブタンクへ切り替えるときのガス欠の感触。エンジンはすぐに止まってしまった。16年のバイク生活で、初のガス欠だ!しかし市内だったことが幸いして500メートルほど押し、給油することが出来た。その量11.5リットル。12で満タンだから、完全にアウトだったのだ。しかしこのバイクは便利な分、重たいことを思い知らされる。たった500メートルなのに、スタンドに着いた時にはもう足がガクガクになって、息まで切れてしまった。従業員に、鹿児島の佐多岬へはどのくらいかかるのか聞いてみたが、この辺の人はあまり行かないようで分からないとの返事だった。街を抜け国道10から国道220へと道を逸れるとすぐにコンビニへ止まり、いつもながらの遅い昼食をとる。

再び走り始めると、広大な平地はここで終わり。今度は海沿いの山の縁だ。左手の眼下には、サザエさんで見た(笑)鬼の洗濯板がいくつも続く。日南市へ入ったところで道の駅を見つけ一休み。行く手には限りが見えてきた。この先が最大の目的地かと思うと、アクセルをひねる手も、傾く身体も、軽やか。眼下の海は岩場ばかりだったのが、突然小さな真っ白い砂浜が現れる。日南海岸ふとと大きな看板が目に付く。横道へ逸れ砂浜へ降りてみると、若い女性がポツンと一人だけ座っていた。ゆっくりしたかったが、先を急ぐため写真とビデオを収めただけで再びスタート。この山を越えればゴールが見える、そう思いながら走っていると、再び湾に出て、またその先に切り立った島々のような山が見えた。ここでR448へと変わる。今どこを走っているのだろう?もうすぐ岬に違いない、そう信じて山間の道を上がっていくと、木々の生い茂る山のてっぺんに宇宙観測所のパラボラが見えた。本当なら寄りたかったのだが、写真に収めて先を急いだ。

山を下りると小さな町に出くわす。沿道には警察官の姿。旗を出して止められたので検問かと思ったら、その脇にいた小学生達と一緒に交通安全の呼びかけとおみやげを渡しているとのこと。都会の無愛想な警察官ばかり見てきた俺にとって、その警察官は清々しい好青年。こんな心優しい公務員もいるんだなと関心。しかし小学生達はさらに純情無垢。大きな声で挨拶をして、俺も童心に返ったようにこんにちはと声を掛ける。気をつけてくださいとおみやげを渡した小学生はかなり照れくさそうだった。その場に居合わせた地元の人に、佐多岬までどれくらいかかるでしょうか?と聞くと、道を聞きながら行けば2時間くらいかな?と言われて、ちょっとショック。ま、信号も少ないからこのペースなら1時間もあれば着くだろうとタカをくくったのは、失敗だった。そう、民家は消え細くなった道はどんどん山奥へ、陽はぐんぐん沈んでいき、さらに道は山奥へ、時々出会う民家も数軒で消え、やがて自動車1台やっと通れるような最悪の道へと変わっていったのだった。宿泊出来るところはあるのだろうか?なかったらどこまで引き返せばいいのだろうと、心配は募るばかり。途中突然現れた「ナウシカ」に出てきそうな風景と、たくさんの風力発電の風車に励まされるも、道は舗装されているものの完全に山間の1本道状態。もう駄目だ・・・この寒空、ジャケットにくるまって朝を迎えるのか・・・山の向こうに陽が沈んでいく。今まで見たことのない、オレンジ色の空を、少しずつ闇へと変えながら。もうすぐ6時だというのに。関東ではとっくに真っ暗なはずなのに。でも、希望のかけらは沈む夕陽の残す余韻のように消えていく。久しぶりに10軒ほどの小さな集落が見えた。ここに民宿がなければおしまいだ・・・そう覚悟を決め道を進む。だが希望空しく、人の姿もない小さな港に出くわし、道はそこで終わっていた・・・これで一巻の終わりだ。岬にすらたどり着けないなんて悔やんでも仕方ない。諦めて引き返すことにした。空は完全に闇。すれ違う自動車さえない。ところがそこで偶然に路線バスを見つけ、そのまま着いていくことにした。きっとどこかに出るだろうと信じて。バスは信じられないほどのハイペースで細い山道を進んでいく。脱輪したら2度とあがれないほどの道を何のためらいもなく・・・慣れない俺は着いていくのがやっと。離されては追いつきの繰り返し。でも頑張った甲斐があった。さっきよりも民家の数の多い、ほんの小さな集落に出たのだ。でも旅館らしいものはなく、それでも着いていった。しかしバスは、夜間閉鎖となる佐多岬へつながるバイパスの前で終点を迎え、止まってしまった。もう、ここからは一人で探すしかない・・・「辛かったな、今日のコースは。」「ああ、無理するんじゃなかった・・・」希望が消えると、いくつものことが頭を過ぎった。悔やんでも仕方ないと、励ましてきたのに。細い路地へ、フラフラとバイクを走らせた。とそこに、周囲からは想像もつかない真っ白で綺麗な建物が。しかも地上5階。もしや、と近づいてみると・・・ホテルだったのだ!!ここにあるだけでも驚きなのに、ロビーに入ると心臓の鼓動が早くなるかと思うほどさらに立派な造り。つい最近出来たばかりのような、洗練されたホテルだったのだ。フロントで聞くと泊まれますとのこと。心から良かった〜と大きな声で叫んでしまった。涙が出るかと思った。「砂漠のオアシスみたい」とは良く言ったものだ。まさしくその通り。しかも料金が安い!朝夕食付きで¥7500とは、いったいどういうことだろう。この場所で、こんなに素晴らしい設備、関東地方の金銭感覚だったら1万円以上とられても納得してしまうのに・・・部屋は4階だった。民家もほとんど無いため外は真っ暗で何も見えなかったが、窓を開けるとさざ波の音だけが繰り返し繰り返し漂っていた。こんなに素晴らしいホテルに巡り会えて、なんて幸せなんだろう。なんて運が良いんだろう。波の音を聞きながら、そんな余韻にしばらく浸った。その後夕食をとるためレストランへ行く。これがまた凄い!質・量共に最高!品数も多く、すっかり満足して部屋へと戻った。今日はあまりにも長い旅だったような気がする。この日記を書くのにも1時間半もかかってしまった。でも、これから生きていく上で、忘れられない、最高で、最長の1日だったことは確かである。この旅に出て、本当に良かった・・・


データー

出発   午前7時45分

到着   午後6時

走行距離 426キロ(大分県北海部郡佐賀関町→宮崎→鹿児島県肝属郡佐多町)

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