2009年4月17日金曜日

01-09ひたすら3800キロ、旅9日目 2003/12/28

午前6時20分起床。起きているときは感じないが、このところの疲れがたまっているようでまたしても熟睡。午前7時に朝食。7時30分にはチェックアウト。昨日見られなかった残りのロケ地を回って、その後は出来る限り東京の近くへ向かおうと決めていた。時間を無駄にしないため、ロケ地近くと思われる場所で地元の人に聞くことにした。最初は昨日見つけられなかった、千光寺公園への登り道がある三軒家。ロケマップを見せながら聞いたが、近くであるにもかかわらず地元の人は詳しい場所が分からないと言う。しかし三軒家町の方向だけは教えてくれた。たぶんあの丘辺りがそうだろうと目を付け、なるべく丘に近い道を探しバイクで走る。と、家が無く開けた空き地があって、何気なく見上げたら記憶の片隅に残っているような雰囲気。そこにバイクを止め引き返し、さらに奥の路地へと歩いていく。狭いため、ゆっくりと慎重に。その上がっていった道はズバリそのもので、恐らく撮影時にカメラを仕掛けたであろう場所。運良く塀の向こうにおばあさんの姿が見えたので訪ねるとやはり間違いなかった。そこの家のその辺りがそうですよ、テレビも良く取材に来ましたよ、と親切に教えてくれた。

次に目指したのはすこし西へ移動した場所にある竜王山。

駅南のこの辺りは小高い丘が幾重にも重なり、おまけに道ばたに市街地図がないため、皆目見当が付かない。コンクリーの橋が架かる小川沿いにバイクを止め、通りかかったおばあさんに声を掛けた。山の場所は分かるらしいが、どこがその場所か特定できないため近所の知り合いに声を掛けてくれ、その人は中学校を目指して行ってくださいと教えてくれた。どこから来たのと聞かれ、茨城県の鹿嶋ですと答えると大変驚かれたようで、「よう来てくださった。」と感謝の言葉。いい街だから住んでください、とまで言われてしまった。千光寺公園には行っていないと話すと、そこよりも素晴らしい眺めの山があるから行ってみてくださいとのこと。今なら昇った朝陽が綺麗でちょうど良い時間だから、竜王山は後にしたら、とまで教えてくれた。3人で10分ほどしゃべっただろうか。見知らぬ人に、こんな歓迎をしてくれる尾道の人の温かさに嬉しい思い。気を付けて行って来てくださいね、との挨拶の後、教えてもらった鳴滝山を目指す。5分ほどという説明に安心し、ゆっくりと走っていく。曲がる場所を間違えて何度か町中を回ってしまったが、標識を見つけそれに従い上へと進む。その山は国定公園ではあるが、標識は地味で古く、危うく通り過ぎてしまうところだった。勾配がきつくなると同時に周りが寂しくなる。クネクネと曲がる道は、対向車も来ない。標識によるとここから3.5キロ。

どれほど走っただろうか、小さな駐車場を見つけたので止めて歩こうかと思ったが、バイク1台がやっと通れるコンクリーの小道を見つけたので、バイクで上がっていく。しかし道は、すぐに枯れ葉だらけの山道へと代わり、やむなくバイクを止め歩き始めた。完全な登山道と急な傾斜に息が切れる。休み休み上っていくのだが、一向に着く様子がない。

フェンスが見え、やっと着いたかと駆け足で上がると、なんとそこはアスファルトの道路。さっきの駐車場より先に実はまだ道路が続いていて、それに気づかず山道を上がってしまったのだ。がっくりと気を落としながらも、これからどれだけ歩くか分からないので来た道を引き返し、もう一度バイクで上がってきた。

途中見晴らしの良い休憩所があったが先に山頂を目指そうと通り過ぎる。

大きな案内地図と木造のトイレがある最後の駐車場は、さっき上がって来た山道のすぐ近くだった。

案内によると、ここから山頂まではさらに歩いて15分ほどかかりそう。しかしまだ息は切れたまま。時間のロスを悔やみつつも、見晴らしの良い場所があったので山頂を諦め引き返し、そこで写真とビデオを撮った。

掛かる時間は違っていたが教えてくれた人の言葉に偽りはなく、最高の眺望。尾道の街並みが全て見渡せ、霞んではいたが遙か四国までが視界に入ってきた。運良く、雲の切れ間から射し込む光が島々の間に流れる海を輝かせる。またしても忘れられない景色に出会ってしまった。しばしその景色を楽しんだ後、来た道を引き返し日比崎町の竜王山を探した。

中学校を見つけ左手に見ながら山を目指すが、道は行き止まり。もっと右側の道なのかと解釈し、引き返しつつも右折をすると野球のグラウンドを見つけたので、そこにバイクを止める。

コンクリーの坂道が見えたので、歩いて上がることにした。しかしここも、程なく完全な山道に。道ばたに大きな石や何かの小屋があったが、やはり山の入り口ではないようだ。またやってしまった、と思いつつもハアハア言いながら来た道を引き返す。見える山の裏手にあるのだろうかと思いつつバイクに跨り、離れた道から山を目指してみる。しかし反対側は完全な新興住宅地で、気づいたら一周して戻ってきてしまった。もしかしたら見逃したのかもしれないと、もう一度中学校を目指す。

さっき行き止まりだった一つ手前に自動車も通れない程狭い道が見えたのでそこを上がっていくと、その道は先へと続いていた。そう、この場所が、映画のオープニングで学校の中にいる百合子をヒロキがファインダー越しに見ていた場所だ。友人が前転をした折れた坂道だったのだ。

石柱の門を抜けると、たくさんの石物が並ぶ。「お騒がせします」と心で語りかけ、写真に収めつつも先を急ぐ。すぐに、ヒロキが足をばたつかせた見晴らしの良い石の祠が見えた。ここも最高の眺望。地元でないと分からない、魅力のポイントだ。こんなに素晴らしい場所を教えてくれた映画に感謝しつつもビデオに収める。祠に上がってマネをしようと思ったが、道を教えてくれた人の「昔の人は信心深かった。映画みたいなことしたら罰が当たる。映画のスタッフもお祓いして貰っていた。」という言葉を思い出し、しかしそれ以前の問題で俺には怖くて上れない、と諦めることにした。

そう、この景色だけで十分だ。おなかがいっぱいになった気分。

ロケ地が一つ見つかるたびに感動がグングン膨らんでいく。もう最高の気分だった。その余韻に浸りつつも、最後の目的地向島を目指す。昨日写真に収めた渡船に乗って上陸すると、以外にも大きな町と広い道路。映画のシーンでは橋を奥、海が左手で山が右手だったことを思い出し、こちらから行くと山が左手で海が右手のはずだと、海沿い目指すことにした。しかしなかなか海が見えない。途中で孫と遊ぶ老夫婦を公園で見つけ地名を伝えると、ここからはまだ4キロほど先だという。狭いとばかり思っていた尾道は、広いとつくづく感じた。その老夫婦の教え通りに走っていくと、見覚えのある赤い橋が目に飛び込んできた。左手に見える山の斜面は、映画のようにミカン畑。山腹には道路らしいものが見えるが、そこへの上がり口が分からない。もっと先に行ってみようとバイクを走らすと、昨日通った因島大橋が見えた。上から見る橋もものすごく大きかったが、下から見るとさらに大きい。また写真に収めた。そこを過ぎると、やっと上がり口らしい道を発見。バイクで上がっていくと確かにそうだった。年末のこの時期に仕事している人はなく、俺一人。誰の気兼ねもなく探せることに感謝。そしてとうとう見つけたのだ。

夕焼けに包まれ、ヒロキが百合子の壊れた自転車を一緒に押していく道。忘れられないシーンは、しっかりと記憶に焼き付いていた。しばらくそこで余韻に浸る。最後は、ヒロキが一人帰って行く、百合子の家近くの道。順序通りに考えれば、ミカン畑よりも先だろうと思い海沿いを走っていく。だがその勘は間違っていた。地名は代わり、それらしいものは全く見えない。しかし引き返しても見つかる保証はないし、ここまでに時間もだいぶかかってしまった。仕方ない、諦めよう。

(後で思い出したのだが、映画で使われていないシーンが案内図に乗っていたのだ。そう、最後の場所だったのだ。)向島を一回りして帰ろうと、そのまま海を右手に見ながら走り続けた。ところがこの島が、予想以上に広い。大きなスーパーまである。一つの立派な町であるのも納得だ。結局フェリー乗り場に行き着いたのは11時半を回っていた。そこで渡船待ちの車列に並び、尾道へ着いたのは15分後。後は鹿嶋目指して帰るだけ。でも少しでも無駄を省きたいと、市内で昼食をとることにした。せっかくだからもう一度ラーメンをと、昨日の食事処からの帰り道に見つけたラーメン屋にバイクを止める。日曜日のためか、女性客が2人、空き待ちをしていた。ちなみに、少し先の向かいにある中華そば屋は20人近く並んでいた。尾道のラーメンは、観光客にもすっかり定着しているようだ。10分ほど待って中へ入り、店のおすすめである角煮ラーメンをセットで頼んだ。知らずに入ったのだが、テレビの取材が来るほど有名な店だったようだ。スープはやはり、油の浮いた醤油味。ネギと味玉とメンマともやし、そして角煮がのっていて目の前に出された実物も写真通りに丁寧。好感の持てる接客も良かった。もちろん味も抜群。とけるようにやわらかい角煮の美味しいこと。しっかり味わって、満足しながら尾道を後にした。

すでに午後12時半。ホテルで聞いたところによると、国道2を通って神戸まで5時間強。どうやら今日はそこまでが限界のようだ。後はひたすらバイクを飛ばすだけ。海からも離れ、在り来たりな町中やバイパスを走るので、写真を撮るところもない。おかげでペースはすこぶるはかどる。すぐに岡山県へ。

ここで未だかつて経験したことのない、道を体験。制限速度が70キロの一般道だ。当然その速度に従い走っている自動車はなく、皆平気に80キロは出ている。中には90〜95キロの自動車も!スピードが速すぎて怖い思いはしたけれど、マナーは良く、順調に進む。途中、給油をした。暖かい気温と疲れのせいか何度か眠気に襲われ、コンビニにも寄る。

何度か、脇を走る高架の上を新幹線が走り抜けていくのが見えた。

そう言えば修学旅行で、この辺りの景色は見ているはずなんだよなと思っているうちに、岡山県は過ぎ、兵庫へ突入。もうじき神戸に着く。太陽は一昨日までと違い、早くも傾き掛けている。もしかしたら明石大橋と夕陽が一緒に収められるかと、期待すると胸は高鳴る。姫路東でバイパスを降り、国道250を走った。車線も多く、まっすぐで綺麗な舗装。周りの景色も、工場あり、ファミレスあり、住宅地あり。どんどん賑やかになっていく。そして時折、右手のビル向こうに点滅する光。明石大橋が見えたのだ!何度も越える陸橋から右手に見える夕陽は、遮る雲もなくこの旅一番の綺麗さ。しかし橋の上にバイクを止める場所もなく、明石大橋へ一刻も早く着くためにスピードを上げる。しかし、かなり走っているのに一向に橋へ出会さない。夕陽はどんどん傾いていく。そしてとうとう沈んでしまった。空に残るのはうっすらオレンジに染まった余韻だけ。その余韻も闇へと包み込まれていく。この旅、ここまで幾つもの偶然に恵まれ、最高の景色ばかりを目にすることが出来た。でもその運もこれまでか・・・午後5時半、巨大な橋にとうとう着いた。神戸寄りの海辺で写真に収めようと場所を探すと、大きなショッピングモールに出会し、トイレも兼ねてそこへ入っていった。トイレを済ませショッピングモールの中を歩き抜けると、そこには最高の夜景があった。

ライトアップされた橋、対岸の町の輝き、そして淡路島の向こうがほんの僅かに赤く染まっていた。諦めかけていたが、どうやら俺のこの旅は、タイミングと運の良さに恵まれているのは確かなようだ。そう確信した。何度もシャッターを切り、ビデオを回した。あとは神戸市で宿を探すだけだ。再びバイクに跨り、国道2を大阪方面目指して走る。道は意外にも空いていた。その上片側4車線。周りの自動車を気にすることなく、道脇を注意しながら走る。

右手に列なるいくつもの大きな橋脚は、辺りが暗くても神戸に来たと言うことを自然と感じさせてくれる。

阪神大震災をTVで報道した際、誰もがきっと目にしたであろうあの倒れた橋脚のあった場所だ。

来たことのない場所が、初めてではないような気がするのは、きっとその影響だろう。

しかし今では、綺麗に復興して震災の面影すらない。

そんな事を感じながら注意して宿を探すが、長崎の時と同じでなかなか見つからない。やむなく歩道を歩いていた人に尋ねると、近くのビジネスホテルを教えてくれた。関西弁に近い訛りに、もうすぐ大阪なんだなと実感が沸いてくる。分かりづらいよとの言葉通り、残念ながら見つけることは出来なかった。その代わり、逸れた道から繁華街に入り、大きなホテルを見つけたので今日の宿とすることにした。

すでに午後6時半。途中間違ってバイパスを逸れたことが原因で、6時間もかかってしまった。しかし明石大橋の夜景が見られたその偶然に感謝しなければ。ビジネスホテルかと思い入ったのだが、どうやらここは元ラブホだったところを改装したようである。ベットとベットサイドにその面影があった。おまけに休憩を済ませて出てきたカップルの香水臭いこと。この中で愛し合っていたのかなと想像すると、複雑な気分だった。夜食は、フロントの人が教えてくれた、すぐ近くにある駅地下街。そこでミンコロ定食を食べた。コロはコロッケのことだと思うが、ミンって何のことだろう。この細長い棒状の揚げ物がそうなのかな、と疑問だけが残った。焼き鳥の皮と肝を頼み、生ビールも飲んだのだが異常に安い。よく見ると生ビールはマグナムドライ、そう発泡酒。これって何か違うんじゃない?と思っては見たものの、缶で飲む発泡酒とはひと味もふた味も違って美味しく、すっかり忘れてしまった。そして部屋に戻り日記を記す。今の時刻は午後9時半。今日も2時間かかってしまった。この日記も、いよいよ明日が最終日。しかも明日は魔の強行軍。一日目を上回る距離を走らなければならない。しかしそれさえ無事にやり遂げられれば、この旅は大成功。油断など決してせず、気を付けながら帰ろうと思う。明日はいつもより早めに出発するつもり。さっさと風呂に入り、寝なければ・・・


後日、関西在住の知り合いからミンの答が返ってきた。

ミンチ、だそうだ。メンチと言い慣れている関東人にとって、非常に新鮮な響きであった。


データー

出発   午前7時30分

到着   午後8時頃

走行距離 301キロ(広島県尾道市→岡山→兵庫県神戸市)

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