2009年4月17日金曜日

01-04ひたすら3800キロ、旅4日目 2003/12/23

夕べ食事後にもビールを飲んだせいか、朝4時30分というとんでもない時間に目覚める。テレビを見ながら時間をつぶすが、東京圏内とは違ってテストパターンの嵐。唯一日テレ系のTV局がNNN24を放送していた。5時を過ぎたあたりから他局も放送が始まるが、ここで意外なことに気づく。通販番組は、どうやら全国共通らしい。マッハ文朱が出ていた。やがて7時になり、朝食のためにロビーへ降りる。距離メーターの写真を撮ったところで、厚着をした50代の男性に声をかけられた。埼玉県の入間市から来たとのこと。自転車で四国を回っているらしい。その人は鹿嶋を知っているようで、話に花が咲く。かなり前に亡くなった母親の家がこちらにあり、誰も住んでいないその家に2ヶ月程滞在しながら仕事をしていたという。家で仕事?もしかして物書きかな、と勝手に想像していたら、食事が終わり出発するときにもう一度出会い、聞いてみるとやはり小説家だった。まだ本にはなっていないが、雑誌の連載が終わり一息ついたところとのこと。嬉しくなってつい、自分も趣味で書いていると伝える。これも何かの運命なのかもしれない。せっかくの出会いも、惜しいけれどここでお別れ。朝7時30分出発。四国の朝は遅い。東側が山ということもあり日陰で底冷え。寒さに震えながら高知市を目指し国道55を走る。朝焼けに染まる土佐湾とその向こうの山々がきれいだ。

高知市を目前にして県道14へと逸れ、再び海沿いを走る。奈半利の隣、安芸市からこの辺りまでは堤防がものすごく高い。まるで映画で見た刑務所の塀のよう。きっと弓なりの天辺に位置するせいで、昔から津波の被害が大きいのだろう。肝心の道の方はと言うと、国道でないこともあり快調に流れ、その上を高知空港へ降りようとするプライベートジェットが飛んでいた。今日最初の休憩地は桂浜。瀬戸湾を越える弓なりになった橋の高いこと高いこと。おまけに2車線で細いものだから、めちゃくちゃ怖い。「怖い怖い」と言いながら、走る。橋をあっという間に下り、いくつかの急カーブを過ぎると駐車場に辿り着いた。金を取られるのは嫌だなと思ったが、50円なのでそこに止めることにした。ここまでの所要時間は1時間。突端が突き出た形のこの浜は、波も静かで素晴らしい。坂本龍馬の像や砂浜の写真を撮り30分を過ごす。そこからはまた海沿いに進み、仁淀川を越えると県道23。道が2又に分かれていて海沿いは左だったのだが、あえて右に進む。これは正解だった。細長く10キロ近くも入り組んだ浦ノ内湾。くねくねと曲がる道は快適なワインディング。やがて道は国道56へ。この辺りからは、海を離れて山の中腹を縫うような道になるのだが、地元の人はお構いなしに飛ばしまくり。70〜80キロは出ている。昨日の白バイに、ここで納得。久礼坂や七子峠の景観は、この手の道路を見慣れない自分にとっては凄く新鮮で、路肩にバイクを止め写真を撮った。周りのハイペースに促され。あっという間に20キロほど走り過ぎ、再び海へと出る。出会した四万十川は、下流にもかかわらずエメラルドのように輝きつつも透き通り、最後の清流と喩えた人の気持ちがよく分かるほどに綺麗だった。川沿いの道は国道321へと代わり、山の中のトンネル、そして細い川沿いから岩場のきれいな海沿いを走る。いくつかのカーブを越え目の前に突然現れたのは、真っ白に輝く砂浜とゆるい波。大岐海岸。波に乗れない人でも、ここでパドリングしていたら心癒されるだろう。程なく、この旅3番目の目的地、足摺岬を周遊する道路がとうとう見えた。しかし東回りのそこにはのらずに、あえて真ん中の道を走った。これがまたしても大正解!!!16年間バイクに乗って色々な道を走ったけれど、見晴らしは良いのに民家がひとつも見えない山の中、ゆるい勾配をクネクネと上がって行くそのワインディングは、今まで一度も経験したことのない世界。まるで異次元のよう。それでいてスイスイと走っていける自分がいた。いつから覚えたのか記憶にないけれど、ワインディングは常に見えないカーブの先を見つめるときちんとしたルートがとれる。旅4日目にして、やっと思い出すことが出来た。この道で写真を撮れなかったことだけが悔やまれる。午後12時40分、ついに足摺岬到着。室戸岬とはまた違う景観を、たくさん写真に収めた。小さな公園にはジョン万次郎の像があった。学生時代に習ったな、と懐かしい記憶にひたる。ここは10分だけの滞在。他に見るところはいくつもあったが、岬の素晴らしい景観だけで満足だった。このペースだと、夕陽が沈む前にフェリーに乗れそうだからだ。そう期待しながら、宿毛市を過ぎると愛媛県。御荘町を抜け宇和島市に入ったのは午後3時。ここで今日初めてのまともな渋滞に巻き込まれる。ここからが俺の悪い癖で、先を急ごうと道を逸れてしまったのだ。迷い込んだのは、自動車1台がやっと通れる県道274。ちびちびと何度も曲がりくねり、道路脇はミカン畑ばかり。でもこの間違いは、最高の気分転換になった。山を越えた先、宇和島湾が、傾き始めた太陽を照り返し、ものすごく綺麗だったのだ。もしもう一度四国に来ることがあったら、もう一度絶対に来たい、そう思える景色だった。しかしその感動は、長続きはしなかった・・・なんと事故にあってしまったのだ。工事渋滞の法華津トンネル。そのど真ん中で、こちらが止まっているところへ、うっかりブレーキをはずした後続車に追突されてしまったのだ。衝撃を感じた瞬間、ものすごく頭に来た。でもトンネルを抜けるために、止まっては走ってを繰り返している内、怒りは波のようにだんだんと収まり、町に入った所で互いに路肩へ自動車を止め状況を確認した。申し訳なさそうに何度も頭を下げる、若い奥さん。自動車の中では、子供達が何事かと不思議なまなざしでこちらを見つめる。幸いなことにフュージョンはナンバーが少し曲がっただけで、傷もなく、リアトランクも異常なし。(数日後に気づくのだがウインカーのカバーにヒビが入っていた)その奥さんは今後のために名前と住所を書くつもりでいたが、大丈夫ですよと何も聞かずに別れた。こんな時、示談にするため金を取る人もいるだろうが、俺はそんな嫌なことはしたくない。何もなければ、そのままにして置いた方がいい場合もあるのだ。その奥さんにとってここは地元であっても、俺にとっては1000キロ以上も離れた土地。相手のことを考えるとややこしいことにはしたくないから。奥さんも、そんな親切心に感謝してくれたのだろう。何度も何度も頭を下げていた。渋滞と事故は予想外だったため、すでにこの辺りで陽が沈みかけていた。四国最西端、三崎町を目指すために国道をはずれ県道25へ。夕焼けの余韻を追いかけながら、速度を上げる。ぶつけられた影響もなくバイクはハイペースで進み、八幡浜市で国道197へ合流。山を登りながらトンネルを抜けると、そこはとうとう四国の西端に突き出た細長い岬。この辺りの地形、長く続く砂浜のようなものを想像していたが全く違い、険しい山が海に突き出たような形で、標高もかなり高かった。この景色もまた忘れられないだろう。夕焼けを背にした風力発電の風車が今でも目に焼き付いている。三崎港に着いたのは5時40分。タイミングが悪く10分ほど間に合わなかった。待合所で身体を温め、6時30分のフェリーに乗る。四国と九州を結ぶフェリーはいくつかあるのだが、このフェリーは距離と時間が短く安い。しかし船は古かった。珍しいのは、幅が太くないこと。その代わり細長く、外見は普通の船のよう。1時間10分の船旅は写りの悪いテレビを見ているとあっという間。でも心配は今日の宿。この時間では見つからないかもしれない、と。すっかり暗くなってしまった空の下フェリーを下り受付で話を聞くと、運の良いことに100メートル先にビジネス旅館があるとのこと。駄目元で行ってみるとこれがなんとOK!しかも年輩の女将さんは親切で、開いている食堂を探してくれ、旦那さんとおぼしき人は、見つけた食堂まで自動車で送ってくれたのだ。この旅は、人と人とのふれあいが、優しさが感じられる旅。この旅館に泊まり、しみじみそう感じた。そしてもう一つ。今日走りながら感じたこと。運の良さと、人との出会いの良さは、俺にとっての武器かもしれない。それを胸に刻みつける旅になるかもしれない、と。


データー

出発   午前7時30分

到着   午後5時30分

走行距離 428キロ(高知県安芸郡奈半利町→愛媛→大分県北海部郡佐賀関町)

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