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2009年4月17日金曜日

01-11ひたすら3800キロ、あとがき

帰宅した翌日、1年ぶりにさびしんぼうを見た。

記憶のままの景色だと思っていた尾道の風景は、随分と変わっていたことに気づいた。

町中に高層マンションが建ったり、古い町の中にも突然真新しい空き地があったりと。

だが肝心なものはしっかりと残し、映画の雰囲気を感じるには差し支えのない程度であるのは間違いない。

壊さず保っていく、その姿勢は見習うべきだと思う。

鹿嶋はいじられすぎてしまった。

古き良きものを残すことを前提にしていない街の拡張によって、商店街はすっかり寂れ、数千年の歴史があるはずの神宮前の参道は、歴史ある建物に不釣り合いな程綺麗になってしまった。

鹿島臨海工業地帯の開発によって新しいものを受け入れたために、大切なものを忘れてしまったのではないだろうか?

他の町ではマネしたくても出来ない素晴らしい歴史背景を、否定して進化してしまったのではないだろうか?

長い旅の中、沢山の町並みを見終えた、今思う。

新しさと古さが共存する町に戻して欲しい、と。

せっかく再び新しい”サッカー”という起爆剤を受け入れ、鹿嶋を全国区にのし上げたのだから。


話は逸れるが、この旅を終えて深く考えたことがある。

あなたは同性愛や、自殺をどう思うだろう?

自分はどちらも否定しない。

スケールの大きな話しになってしまうが、地球という大きな器の生態系では自浄作用の様なものがあるという話しを聞いたことはないだろうか?

例えれば地球が一つの生き物でその上に生きている生物たちは血や水その他身体を構成するのに必要な物質、と言うことだ。

その物質の一つ人間は、急激に、そして明らかに増えすぎている。同性愛も自殺も、地球という一つの生き物が出した信号ではないだろうか?

つまり、繁殖を抑えるための同性愛、そして、人口を減らす為の自殺。

そんな理由は人間が後から勝手に想像して後から付け加えたものであるかもしれない。だが真実はどうであれ、自分はどちらも否定しない。

皆さんはどうだろうか?

それぞれ思うことやこだわりや生まれ育った環境があるだろうから、肯定は出来ないかもしれない。

でも、同性愛者の内面も見ずただ“気持ち悪い”と言う言葉で片づけてはいないだろうか?

とくに自殺に関しては、認められない人が多いだろう。

”なんて馬鹿なことを”と思うだろう。でも自殺した人は、自分の人生を自分で選んだのだ。確かに周りに迷惑をかけたかもしれないが、悩み抜いて、生きることを否定したのだ。身近な人がもし自殺したら、誰もが悲しむだろう。俺だってそうだ。でも、その人の選んだ道を、どうか否定しないで欲しい。認めてあげた上で、別の世界へ送ってあげて欲しい。

これは実際に俺の感じたことだが、同性愛者には優しい人間が多いし、自殺経験者は自分には考えもつかない鋭い視点で世界を見ていたりする。

だから、身の回りにそんな人たちがいても、一歩下がって考えて欲しい。

”地球が出したSOS”を思い出して欲しい。

そして、今まで見向きもしなかったり見ることの出来なかった世界に触れることによって、皆さんの視界が広がることを望みます。


さて、ここで肝心の旅日記へ話題を戻そう。

旅の後の不摂生な生活が祟って正月明けに体調を崩したが、旅から一月経ち、この紀行文もようやく書き終えることが出来た。

あとは仕事が見つかるかどうかだ。

厳しい現実を受け止め、めげることなく、諦めず、何がなんでも見つけなければならない。

溜まった借金を返すために、そしてまだ遠くにある夢を叶えるために、例えフリーターでも働かなければ。


旅立つ前は、こんな風に考えられなかった。逃げる方向にしか、思考が向かわなかった。

どうやら前向きに成れたようだ。だからこの旅は、正解だったと言えるだろう。

そう、この旅でいろいろな経験をした。

ものすごく辛かったけど、ものすごく楽しかった。簡単に言い表せばそれが適当な言葉だと思う。でも心の中の変化は、そんなに簡単なものではない。

見知らぬ人とのふれあいで勇気を貰い、めげそうになって諦め掛けたときに見えた絶景や、美味しい食事。10日間に見え身体に触れ感じた全てが、この1年で自信をすっかり失っていた俺に力を与えてくれた。

そして写した写真やビデオが、これからも俺を励ましてくれるに違いない。


「何を迷っているんだ?やればこれだけ出来るんだよ。突き進めよ!」と。


うまく言葉で説明は出来ないけれど、それだけは確かだ。この紀行文を読んだ方がもし、めげそうでどうしようもなくなった時、例えバイクの免許を持っていなくても、勇気を出して一人で長旅をして欲しいと思う。

これから人生を歩んでいく上で、最高の経験をきっとするだろうから。


そう、旅に出ようよ!

仕事や家のことを考えると頭が痛いかもしれないけれど、それを越えれば勇気が必ずみなぎるから!

きっと大きなプラスになるから!


〜完〜



総走行距離  3712キロ  (フェリーを含めると4000キロ弱)

総給油量   108.8リットル

燃費     リッターあたり33.74キロ


ビデオ録画総時間 1時間15分


写真総枚数    404枚

01-10ひたすら3800キロ、旅10日目 2003/12/29

午前5時30分起床。睡眠時間が短かったため、いつもより眠い。しかし今日は、いつ帰り着けるか分からない程長い距離のため、気合いを入れる。午前6時チェックアウトし、10分ほど暖機してスタート。まずは路地を抜けて国道2を東へ。道なりに進んでいくと進行方向が赤らみ始める。道路情報によると気温は1度。思っていたほどに冷え込んではいないようだ。周りの自動車は信じられないスピードで走り去っていく。合わせようとするが、時々付いていけない。左のレーンに進路変更しようとしたら、突然後ろの自動車からクラクションを鳴らされる。どうやら俺の走りが周りにあっていなかったせいで、抜きたくても抜けなかったらしい。ウインカーを消して譲ると、その自動車は凄い勢いで追い抜いていった。今度はクラクションを長鳴らし。あまり気分のいいものではないが、愛媛の時とは明らかに違う。言葉に喩えるなら「とろとろ走るな。俺は先に行きたいんだ。」だろうか。ネチネチ追い回すのではなく、あっさりとしている印象を受けた。神戸から30キロ弱走ったところで、国道163へと逸れる。昨日パソコンで選んだルートだ。大阪は東京のように人口が密集した都市なので、それぞれ面積が狭い。ぼうっとしていると、簡単に2〜3の市を過ぎていく。その間、道路情報によると気温は2度、3度と上がっていた。この調子ならすぐ暖かくなり、快適になりそうな予感さえする。道は幸い渋滞もなく、至って快調。見つけた吉野屋で朝食を取る。今となっては食べられない牛丼大盛りだ。再び走り始めるとあっと言う間に大阪は過ぎてしまい、京都府と入る。

突然気温が下がった気がしたのは勘違いではなかったようで、市街地を越え少しずつ家々が減ってくるたびに、そして高度が上がるたびに身体が冷えていく。道のくねり具合は最高なのに・・・仕舞いには田畑に霜が降りている始末。でも国道沿いなのだから、山を越えれば家々がいっぱいあってこれ以上下がることはないだろうと、安易に考えていた。しかし寂れるばかり。日差しはあっても、それを上回る冷え込みが体温をぐんぐん奪っていく。指先は凍え、これまで一度たりとも感じたことのない冷え込みは、防寒ジャケットの中までしみ込んでくる。

なんという寒さだろう!雪が降ったわけでもないのに!当然のことだがこれだけ寒い土地、雪も降るようで、いつのものか分からない雪が山肌に残っていた。次第に山陰が増え、体温ばかりか日差しさえも奪っていく。道路が凍っていないのが幸いだったが、ハイペースで走り風を全身で受けている分、体力の消耗は激しい。対向車にバイクの姿がないのが、分かる気がした。

相当根性がいるよ、冬のこの道は。それでも今日は引き返すわけには行かない。この道は確実に近道なはずなのだから。道路のすぐ脇に線路を見つけたので写真を一枚。線路沿いの草むらと、山肌の霜の具合が、見る人に寒さを感じさせるだろう。登りとは違い下りはカーブも緩やかで、数少ない周りの自動車に会わせて走るとスピードは上がっていく。

大阪が近いのに、暖を採るための自販機もコンビニもないとは!程なく、この旅2度目の三重県に入った。しかし三重県の海沿いと山中がこんなにも違うとは思ってもいなかった。熊本と大分で感じた以上の落差だ。上野市へ入ったのは9時少し前。すぐにコンビニが出現。もう限界!と飛び込んで、さっき食事をしたばかりなのにカレーうどんとお茶を買った。

うどんが出来上がる5分を待つ間、お茶で手を暖める。なかなか震えが止まらない。指先に神経がないほどに凍えていた。路上に置いたうどんの蓋の隙間からこぼれる湯気が、まるで工場の煙のように流れていく。5分は長かった。でもそれをかき消す程に暖かく、即席麺がこんなに旨かったのか?と思える程だった。すすり始めるとすぐに、暖かさが血となって駆けめぐり全身を震わす。カップを持つ手はぶるぶる震えだし、スープがこぼれそうになる。その震えを抑え、一気に流し込む。傍らではバイトの若い娘がゴミの選別をしながら時々こちらを覗き込んでいた。スープまで飲み干し食べ終えたところで、そのバイトもゴミの処理が終わったようだったので声を掛けて見る。「旅の途中で初めてここを通ったんですけど、こんなに寒いとは思わなかったですよ。」と切り出すと、「でも雪が降らなくて良かったですね。」とのこと。やはり雪が当たり前のように降る地域だったようだ。「でも大分では降られてしまったんですよ。」などと話しここまでの道のりを簡単に説明すると、そのバイトは大変驚き「日本一周ですか?」と聞いてきた。本当はそうしたかったのだけどね・・・「気を付けて帰ってください。」との言葉を残し、バイトは店内へ。俺はもう一度お茶で手を暖め、それも飲み干した。もしこの後も山が続けばトイレに行くのは困難かもしれない、とそのコンビニで借りた。20分ほどの休憩の後、再びスタート!体内から暖まって、会話で心も温まったので、寒さはずいぶん和らいだ。それに合わせるかのように道は町中へと入り、平地が続いたおかげで日差しも十分に浴びながら走れた。看板には国道25の文字。バイパスに入ったら給油が難しくなるので、ここで今日1回目の給油。満タンで振動もなくなり、快適な加速のまま国道25のバイパスへ。当然のことながら、バイパスは自動車の流れが速い!合わせることで温まった身体は、再び体温を奪われていく。しかし気温はさっきよりだいぶ上がっているのか、それほど気にはならない。

長い直線を過ぎ、いくつかのワインディングを経験すると鈴鹿市に入り、山も完全に下り切りやがて国道1に出くわした。ここからは、どれだけ長くても道から逸れなければ東京に帰り着けるのだ!

だが距離はまだまだある。今日の行程のたった5分の1を走っただけ。心して国道1へと進路を変えた。

しかし急な暖かさに勝てるわけもなく、眠気は確実に襲ってくるので、昨日買っておいたガムを噛みながら目を覚まして走り続ける。

四日市市へ入ると工業地帯が目に付く。故郷鹿嶋に似た景色と、風も収まり暖かい日差しに包まれ、さっきまでの凍える寒さは夢のよう。

市内に入ると、海沿いを走っている国道23に合流。この先国道1は名古屋市内を目指して内陸へ向かっていくので、進路を国道23へと変える。

木曽川の橋を渡るとその先には、太陽に暖かく包み込まれ輝いている伊勢湾が見えた。8日ぶりにみたその湾、前回は外から中を、そして今は中から外を。東京湾に似た穏やかさに、改めてその大きさを知る。国道25は海から離れ一度名古屋市をかすめ、さらに海沿いを走っていた伊勢湾岸自動車道の下へと入っていく。やがて再び国道1へと合流した。安城市の看板が見えたとき、ふと思い出した。10年前に大病を患い入院した時、数週間だけ相部屋になった人が暮らしていた町だ。今は後遺症も回復して元気になっているだろうか?確かめたいけどその術はなく、諦めつつも先を急いだ。ここまでは渋滞もなく快調。このペースがこのまま続けば思ったよりも早く帰れそうだ。やがて見慣れた看板を目にする。

豊橋市。一日目、沈み掛けた夕陽を追いかけ国道1から国道42へと進路を変えた場所だ。つい昨日のことのように思い出せる。萎んでいく気持ちも、今は嘘のよう。行きに気になっていた浜名バイパスの看板が見えた。有料ではあるが、まっすぐな道と高い橋の上から浜名湖を眺めてみたいと思い、そこへ入っていく。

流れる自動車は高速道路のように早く、しかし車間は十分にあるため快適だ。宮崎の一ツ葉有料道路を思い出す。残念ながら橋の上は駐車禁止の為じっくり眺めることは出来なかったが、揺るかな登りの橋のおかげで、しっかりと浜名湖を見ることが出来た。なぜだか無性にウナギが食べたくなってしまった。静岡県に入り浜松を過ぎると、アントラーズの宿敵であり永遠の好敵手、ジュビロの本拠地磐田市に入った。ウナギを思い出したせいか腹が減り、まだまだ先が長いこともあったので、ここで昼食をとることにした。さっきは吉野屋、今度はすき屋だ。俺はこちらの方が好み。牛ののったカレーライスを食べ、駐車場で地図を確認し、再びスタート。有料の磐田バイパスを通ることも考えたが、下道を走った。すり抜け出来ることもあり、渋滞に止められることも少なく、じきに袋井市。

食事の後の眠気がおそってくる。もう一度ガムを噛み、目を覚ます。ここからは一日目の渋滞を思い出し、藤枝バイパスを走った。このあたりがちょうど、今日の旅の折り返し。なのにもう、太陽は傾き掛けている。いったい何時に帰り着けるのだろう、と心配が過ぎる。バイパスを過ぎると、道の駅を見つけたのでここでアパートの大家さんへおみやげを買うことにした。静岡らしく、狭い店内にはお茶が並ぶ。その中から選んで買い、外でコーヒーを飲んで再び走り始める。静岡市を越え、随分久しぶりに感じる海に出会した。ここは駿河湾。この旅では荒れた海ばかり見ていたためか、信じられないほど穏やかな海に見えた。

進行方向には、一日目には綺麗に見えなかった富士山の姿。心落ち着く。

駐車禁止ではあったが、路側の広い場所を見つけ写真とビデオに収める。その先にもっと綺麗に見える場所もあったが、停車している自動車もあり、そのまま通り過ぎた。

道の駅を見つけたので、陽が沈む前にもう一度バイクと富士山を収めようと、止まることにした。

山の向こうに陽が沈み掛けている。富士山頂には、帽子のような雲。風が強くなってきているのだろうか、見る見る成長していく。しばしその様子を眺めながら、写真とビデオに収め再び走り出した。夕陽に背中を押されながら、充実感という暖かさに包まれる。なんと気分のいいことか!バックミラーに映る夕焼けを時々眺めながら、暮れゆく国道1を走る。

やがて陽は沈み、ミラーに映るのは、そこにあったはずの太陽の余韻だけ。オレンジ色は、宵闇に溶け消えていった。いよいよ最後の難関、箱根へと入った。さっきまでの暖かさは、カーブを一つ過ぎるごとに消え、高度が上がっていくたびに寒さが増していく。道路情報によると、雪・凍結注意とのこと。フュージョンはスクーターの為ニーグリップが出来ず、横滑りには非常に弱いのでやむなくスピードを落とす。

切り立ったカーブの向こうには、沼津の町明かり。カメラに収めたかったが止める場所もなく、記憶だけにとどめることにした。

峠の頂上でパーキングへと寄る。標識の通り、ここには凍った雪が残っていた。グリップの弱い靴のため、危うく滑りそうになる。忙しくトイレを済ますと、再びスタート。雪のことも考えカーブの少ない有料の箱根新道を走る。急カーブが続く”七つ曲がり”は特に慎重に走った。

料金所でお金を払い、一般道へ出ると今度は有料の西湘バイパス。しかし今までの軽い渋滞が頭を過ぎり一般道を走ることにする。狭めの国道は、今日初めて感じる生活の臭いで溢れていた。家庭の夜食の匂いであったり、操業している工場の薬品の匂いだったり。

その匂いに包まれながら、小田原、平塚、茅ヶ崎、藤枝と抜け鎌倉市へ。行きは山中を抜けたので、中学校の修学旅行以来だ。そしてすぐに横浜市へと入った。

ここまで来ると昨日までの夜の寒さは嘘のようで、風もない穏やかな暖かい空気に包まれる。都会へ来たことを肌で実感した。有料道路の新横浜道に入った途端、自動車の加速はぐんぐん増し、次々と追い抜かれていく。ある程度は流れにのったが、無理せずに先を譲った。ここまで来て、幅寄せなんて嫌な思いはしたくないし、まして事故なんて絶対に嫌だから。多摩川を越えるといよいよ東京都!看板を過ぎた瞬間、手放しでガッツポーズをした。喜びが胸の奥からこみ上げてくる。後は千葉県を越えるだけだ。もうすぐなのだ、我が家は。東京まで50キロ近くあった距離はあっと言う間に縮み、再び国道1へ降りたときには10キロ台にまで減っていた。この辺りから、標識には”東京”ではなく”日本橋”の文字。国道1の終わりを感じる。東京タワーのライトアップに歓迎され、皇居を過ぎ、帝国劇場。見慣れた景色が次々現れ、帰って来たんだという実感が、さっきまで無口だった俺に言葉を吐き出させる。

「帰ってきたよ、帰ってきたよ。」と。大阪はせっかちという人がいるけれど、最近の東京は十分にせっかちだと思う。ウインカーさえ出さずに進路変更する自動車に何度も出くわした。しかし帰ってきたという充実感が、怒りさえ感じさせない。

「まぁ、いいじゃないか。」と。そしてとうとう、国道1の起点であり終点でもある日本橋へ到着した。ここで箱根以来の休憩を取る。バイクを手で押し、橋の欄干に止め写真を収めた。まだ家に帰り着いていないのにこの充実感は、いったいなんだろう。14歳の東次郎少年も、きっと同じ気分を味わったんだろうな。俺は10日間で4000キロ弱。彼は10日間で1500キロだが、今から40年も前のこと。そのころの国道1は、舗装の道など少なく完全にオフロード。しかも50ccで走ったのだ。

彼の凄さを、ここへ来て実感した。飛んでもない男だったのだ、と。旅の余韻に浸りながらも再び走り始めたのは午後9時10分。出発してからちょうど15時間。思えば疲れさえ感じることもなく随分走ったものだ。国道4をほんの少し走り、国道6を走る。程なく江戸川を超えた。さっきまでの暖かさが消え、ここへ来て急激に冷える。

国道464へ逸れると、寒さは確実なものになった。だがもうすぐ帰れるという実感が心励まし、指先は凍えているのに辛ささえ感じさせない。国道464を流れに乗って走るが、いつもながらのものすごいスピード。市街地を過ぎると長い直線になるため、あっと言う間に過ぎていく。ここでいつものコンビニを見つけ県道4へと進路を変更。いくつかのカーブを過ぎ下り坂を過ぎると、とうとう利根川が見えた。そして国道356を川沿いに走る。川に向かって「ただいま。」とつぶやきながら。ふっと寂しくなる。去年の今日、俺はこの道を打ちひしがれながら走っていた。互いに好きであるのに一緒の未来が見いだせず、同意して選んだ別れ。泣きながら走り続けた5時間。でも諦めていた夢、”物語”を書くことで何とか乗り切り、そしてこの旅で勇気を取り戻し、本来の自分に戻れた気がする。

この1年は想像もつかないほど辛い日々だったけれど。土手沿いの、何もない道路脇に”佐原市”の看板。後は、東町、潮来市を越えるだけなのだ!再び喜びがこみ上げてくる。メーターに目をやると、いつの間にか今日の走破距離は600キロを過ぎていた。佐原市内で国道51にのって、橋を越えると、とうとう故郷茨城県。走りながら大きなガッツポーズをした。ここで最後の給油。この旅の総まとめ、どれだけの燃費で走ったか知るための重要な給油だ。スタンドのお兄さんと話をしながら、終わるのを待つ。カメラでメーターを写しているのを見て声を掛けてきたので旅の話をする。10日間掛けて3800キロを走ってきたと教えると、ものすごい驚きよう。寒くないですか、とか色々聞いてくるのでついついしゃべってしまった。再び国道51を走る。左手の小さなショッピングセンターを過ぎると、昼間でも見えはしないのだが右手の山の上に広大な墓地がある。高校を卒業し、しばらくの間お世話になっていた人が眠る墓地だ。

「とうとうやり遂げましたよ。帰ってきましたよ。」とつぶやく。喜びとも、悲しみとも言えない、複雑な気持ちが心を満たす。気づけば俺も、来年はその人が亡くなった年と同じになる。時間の早さを痛感した。ここからは町中。線路をくぐり、市役所を過ぎ、有料道路の入り口を通りすぎる。やがて国道51のバイパスと交差して、旧神宮橋。右手には10日ぶりの工業地帯の輝き。懐かしさよりも、安堵の気持ちがこみ上げてくる。そして橋の終わりを迎えるためのカウントダウン。5.4,3,2,1!

とうとう故郷に帰り着いた!やったんだ!その余韻を感じたまま、路地を抜けアパートへ帰り着いた。時間は午後11時40分。近所のことを考え、アパートの手前でエンジンを切って押して歩いた。10日ぶりの家。ゆっくりしたかったが、旅の記憶が消えないうちに書き記さなければ。そう心に決め、ヒーターで暖まりながら書き始める。2時間冷やされ続けた身体は、なかなか温まらない。夜食もまだだし風呂にも入っていない。しかし書き終えないうちはどちらもしないと、一心不乱にパソコンに打ち込む。だが寒さを紛らすために布団に潜り込んでしまったのがまずかったようで、眠気に勝てずいつの間にか眠ってしまった。熟睡した。夢も見た。旅の報告をしている内容だった。

目覚めは9時。歯も磨かず、再びパソコンに向かい、今やっと書き終える。すでに午前11時。今日は忙しい。大家さんにおみやげを届け、社長やKさん、そしてTくんにも報告しなければ。


データー

出発   午前6時10分

到着   午後11時40分

走行距離 674キロ(兵庫県神戸市→大阪→京都→三重→愛知→静岡→神奈川→東京→千葉→茨城県鹿嶋市)

01-09ひたすら3800キロ、旅9日目 2003/12/28

午前6時20分起床。起きているときは感じないが、このところの疲れがたまっているようでまたしても熟睡。午前7時に朝食。7時30分にはチェックアウト。昨日見られなかった残りのロケ地を回って、その後は出来る限り東京の近くへ向かおうと決めていた。時間を無駄にしないため、ロケ地近くと思われる場所で地元の人に聞くことにした。最初は昨日見つけられなかった、千光寺公園への登り道がある三軒家。ロケマップを見せながら聞いたが、近くであるにもかかわらず地元の人は詳しい場所が分からないと言う。しかし三軒家町の方向だけは教えてくれた。たぶんあの丘辺りがそうだろうと目を付け、なるべく丘に近い道を探しバイクで走る。と、家が無く開けた空き地があって、何気なく見上げたら記憶の片隅に残っているような雰囲気。そこにバイクを止め引き返し、さらに奥の路地へと歩いていく。狭いため、ゆっくりと慎重に。その上がっていった道はズバリそのもので、恐らく撮影時にカメラを仕掛けたであろう場所。運良く塀の向こうにおばあさんの姿が見えたので訪ねるとやはり間違いなかった。そこの家のその辺りがそうですよ、テレビも良く取材に来ましたよ、と親切に教えてくれた。

次に目指したのはすこし西へ移動した場所にある竜王山。

駅南のこの辺りは小高い丘が幾重にも重なり、おまけに道ばたに市街地図がないため、皆目見当が付かない。コンクリーの橋が架かる小川沿いにバイクを止め、通りかかったおばあさんに声を掛けた。山の場所は分かるらしいが、どこがその場所か特定できないため近所の知り合いに声を掛けてくれ、その人は中学校を目指して行ってくださいと教えてくれた。どこから来たのと聞かれ、茨城県の鹿嶋ですと答えると大変驚かれたようで、「よう来てくださった。」と感謝の言葉。いい街だから住んでください、とまで言われてしまった。千光寺公園には行っていないと話すと、そこよりも素晴らしい眺めの山があるから行ってみてくださいとのこと。今なら昇った朝陽が綺麗でちょうど良い時間だから、竜王山は後にしたら、とまで教えてくれた。3人で10分ほどしゃべっただろうか。見知らぬ人に、こんな歓迎をしてくれる尾道の人の温かさに嬉しい思い。気を付けて行って来てくださいね、との挨拶の後、教えてもらった鳴滝山を目指す。5分ほどという説明に安心し、ゆっくりと走っていく。曲がる場所を間違えて何度か町中を回ってしまったが、標識を見つけそれに従い上へと進む。その山は国定公園ではあるが、標識は地味で古く、危うく通り過ぎてしまうところだった。勾配がきつくなると同時に周りが寂しくなる。クネクネと曲がる道は、対向車も来ない。標識によるとここから3.5キロ。

どれほど走っただろうか、小さな駐車場を見つけたので止めて歩こうかと思ったが、バイク1台がやっと通れるコンクリーの小道を見つけたので、バイクで上がっていく。しかし道は、すぐに枯れ葉だらけの山道へと代わり、やむなくバイクを止め歩き始めた。完全な登山道と急な傾斜に息が切れる。休み休み上っていくのだが、一向に着く様子がない。

フェンスが見え、やっと着いたかと駆け足で上がると、なんとそこはアスファルトの道路。さっきの駐車場より先に実はまだ道路が続いていて、それに気づかず山道を上がってしまったのだ。がっくりと気を落としながらも、これからどれだけ歩くか分からないので来た道を引き返し、もう一度バイクで上がってきた。

途中見晴らしの良い休憩所があったが先に山頂を目指そうと通り過ぎる。

大きな案内地図と木造のトイレがある最後の駐車場は、さっき上がって来た山道のすぐ近くだった。

案内によると、ここから山頂まではさらに歩いて15分ほどかかりそう。しかしまだ息は切れたまま。時間のロスを悔やみつつも、見晴らしの良い場所があったので山頂を諦め引き返し、そこで写真とビデオを撮った。

掛かる時間は違っていたが教えてくれた人の言葉に偽りはなく、最高の眺望。尾道の街並みが全て見渡せ、霞んではいたが遙か四国までが視界に入ってきた。運良く、雲の切れ間から射し込む光が島々の間に流れる海を輝かせる。またしても忘れられない景色に出会ってしまった。しばしその景色を楽しんだ後、来た道を引き返し日比崎町の竜王山を探した。

中学校を見つけ左手に見ながら山を目指すが、道は行き止まり。もっと右側の道なのかと解釈し、引き返しつつも右折をすると野球のグラウンドを見つけたので、そこにバイクを止める。

コンクリーの坂道が見えたので、歩いて上がることにした。しかしここも、程なく完全な山道に。道ばたに大きな石や何かの小屋があったが、やはり山の入り口ではないようだ。またやってしまった、と思いつつもハアハア言いながら来た道を引き返す。見える山の裏手にあるのだろうかと思いつつバイクに跨り、離れた道から山を目指してみる。しかし反対側は完全な新興住宅地で、気づいたら一周して戻ってきてしまった。もしかしたら見逃したのかもしれないと、もう一度中学校を目指す。

さっき行き止まりだった一つ手前に自動車も通れない程狭い道が見えたのでそこを上がっていくと、その道は先へと続いていた。そう、この場所が、映画のオープニングで学校の中にいる百合子をヒロキがファインダー越しに見ていた場所だ。友人が前転をした折れた坂道だったのだ。

石柱の門を抜けると、たくさんの石物が並ぶ。「お騒がせします」と心で語りかけ、写真に収めつつも先を急ぐ。すぐに、ヒロキが足をばたつかせた見晴らしの良い石の祠が見えた。ここも最高の眺望。地元でないと分からない、魅力のポイントだ。こんなに素晴らしい場所を教えてくれた映画に感謝しつつもビデオに収める。祠に上がってマネをしようと思ったが、道を教えてくれた人の「昔の人は信心深かった。映画みたいなことしたら罰が当たる。映画のスタッフもお祓いして貰っていた。」という言葉を思い出し、しかしそれ以前の問題で俺には怖くて上れない、と諦めることにした。

そう、この景色だけで十分だ。おなかがいっぱいになった気分。

ロケ地が一つ見つかるたびに感動がグングン膨らんでいく。もう最高の気分だった。その余韻に浸りつつも、最後の目的地向島を目指す。昨日写真に収めた渡船に乗って上陸すると、以外にも大きな町と広い道路。映画のシーンでは橋を奥、海が左手で山が右手だったことを思い出し、こちらから行くと山が左手で海が右手のはずだと、海沿い目指すことにした。しかしなかなか海が見えない。途中で孫と遊ぶ老夫婦を公園で見つけ地名を伝えると、ここからはまだ4キロほど先だという。狭いとばかり思っていた尾道は、広いとつくづく感じた。その老夫婦の教え通りに走っていくと、見覚えのある赤い橋が目に飛び込んできた。左手に見える山の斜面は、映画のようにミカン畑。山腹には道路らしいものが見えるが、そこへの上がり口が分からない。もっと先に行ってみようとバイクを走らすと、昨日通った因島大橋が見えた。上から見る橋もものすごく大きかったが、下から見るとさらに大きい。また写真に収めた。そこを過ぎると、やっと上がり口らしい道を発見。バイクで上がっていくと確かにそうだった。年末のこの時期に仕事している人はなく、俺一人。誰の気兼ねもなく探せることに感謝。そしてとうとう見つけたのだ。

夕焼けに包まれ、ヒロキが百合子の壊れた自転車を一緒に押していく道。忘れられないシーンは、しっかりと記憶に焼き付いていた。しばらくそこで余韻に浸る。最後は、ヒロキが一人帰って行く、百合子の家近くの道。順序通りに考えれば、ミカン畑よりも先だろうと思い海沿いを走っていく。だがその勘は間違っていた。地名は代わり、それらしいものは全く見えない。しかし引き返しても見つかる保証はないし、ここまでに時間もだいぶかかってしまった。仕方ない、諦めよう。

(後で思い出したのだが、映画で使われていないシーンが案内図に乗っていたのだ。そう、最後の場所だったのだ。)向島を一回りして帰ろうと、そのまま海を右手に見ながら走り続けた。ところがこの島が、予想以上に広い。大きなスーパーまである。一つの立派な町であるのも納得だ。結局フェリー乗り場に行き着いたのは11時半を回っていた。そこで渡船待ちの車列に並び、尾道へ着いたのは15分後。後は鹿嶋目指して帰るだけ。でも少しでも無駄を省きたいと、市内で昼食をとることにした。せっかくだからもう一度ラーメンをと、昨日の食事処からの帰り道に見つけたラーメン屋にバイクを止める。日曜日のためか、女性客が2人、空き待ちをしていた。ちなみに、少し先の向かいにある中華そば屋は20人近く並んでいた。尾道のラーメンは、観光客にもすっかり定着しているようだ。10分ほど待って中へ入り、店のおすすめである角煮ラーメンをセットで頼んだ。知らずに入ったのだが、テレビの取材が来るほど有名な店だったようだ。スープはやはり、油の浮いた醤油味。ネギと味玉とメンマともやし、そして角煮がのっていて目の前に出された実物も写真通りに丁寧。好感の持てる接客も良かった。もちろん味も抜群。とけるようにやわらかい角煮の美味しいこと。しっかり味わって、満足しながら尾道を後にした。

すでに午後12時半。ホテルで聞いたところによると、国道2を通って神戸まで5時間強。どうやら今日はそこまでが限界のようだ。後はひたすらバイクを飛ばすだけ。海からも離れ、在り来たりな町中やバイパスを走るので、写真を撮るところもない。おかげでペースはすこぶるはかどる。すぐに岡山県へ。

ここで未だかつて経験したことのない、道を体験。制限速度が70キロの一般道だ。当然その速度に従い走っている自動車はなく、皆平気に80キロは出ている。中には90〜95キロの自動車も!スピードが速すぎて怖い思いはしたけれど、マナーは良く、順調に進む。途中、給油をした。暖かい気温と疲れのせいか何度か眠気に襲われ、コンビニにも寄る。

何度か、脇を走る高架の上を新幹線が走り抜けていくのが見えた。

そう言えば修学旅行で、この辺りの景色は見ているはずなんだよなと思っているうちに、岡山県は過ぎ、兵庫へ突入。もうじき神戸に着く。太陽は一昨日までと違い、早くも傾き掛けている。もしかしたら明石大橋と夕陽が一緒に収められるかと、期待すると胸は高鳴る。姫路東でバイパスを降り、国道250を走った。車線も多く、まっすぐで綺麗な舗装。周りの景色も、工場あり、ファミレスあり、住宅地あり。どんどん賑やかになっていく。そして時折、右手のビル向こうに点滅する光。明石大橋が見えたのだ!何度も越える陸橋から右手に見える夕陽は、遮る雲もなくこの旅一番の綺麗さ。しかし橋の上にバイクを止める場所もなく、明石大橋へ一刻も早く着くためにスピードを上げる。しかし、かなり走っているのに一向に橋へ出会さない。夕陽はどんどん傾いていく。そしてとうとう沈んでしまった。空に残るのはうっすらオレンジに染まった余韻だけ。その余韻も闇へと包み込まれていく。この旅、ここまで幾つもの偶然に恵まれ、最高の景色ばかりを目にすることが出来た。でもその運もこれまでか・・・午後5時半、巨大な橋にとうとう着いた。神戸寄りの海辺で写真に収めようと場所を探すと、大きなショッピングモールに出会し、トイレも兼ねてそこへ入っていった。トイレを済ませショッピングモールの中を歩き抜けると、そこには最高の夜景があった。

ライトアップされた橋、対岸の町の輝き、そして淡路島の向こうがほんの僅かに赤く染まっていた。諦めかけていたが、どうやら俺のこの旅は、タイミングと運の良さに恵まれているのは確かなようだ。そう確信した。何度もシャッターを切り、ビデオを回した。あとは神戸市で宿を探すだけだ。再びバイクに跨り、国道2を大阪方面目指して走る。道は意外にも空いていた。その上片側4車線。周りの自動車を気にすることなく、道脇を注意しながら走る。

右手に列なるいくつもの大きな橋脚は、辺りが暗くても神戸に来たと言うことを自然と感じさせてくれる。

阪神大震災をTVで報道した際、誰もがきっと目にしたであろうあの倒れた橋脚のあった場所だ。

来たことのない場所が、初めてではないような気がするのは、きっとその影響だろう。

しかし今では、綺麗に復興して震災の面影すらない。

そんな事を感じながら注意して宿を探すが、長崎の時と同じでなかなか見つからない。やむなく歩道を歩いていた人に尋ねると、近くのビジネスホテルを教えてくれた。関西弁に近い訛りに、もうすぐ大阪なんだなと実感が沸いてくる。分かりづらいよとの言葉通り、残念ながら見つけることは出来なかった。その代わり、逸れた道から繁華街に入り、大きなホテルを見つけたので今日の宿とすることにした。

すでに午後6時半。途中間違ってバイパスを逸れたことが原因で、6時間もかかってしまった。しかし明石大橋の夜景が見られたその偶然に感謝しなければ。ビジネスホテルかと思い入ったのだが、どうやらここは元ラブホだったところを改装したようである。ベットとベットサイドにその面影があった。おまけに休憩を済ませて出てきたカップルの香水臭いこと。この中で愛し合っていたのかなと想像すると、複雑な気分だった。夜食は、フロントの人が教えてくれた、すぐ近くにある駅地下街。そこでミンコロ定食を食べた。コロはコロッケのことだと思うが、ミンって何のことだろう。この細長い棒状の揚げ物がそうなのかな、と疑問だけが残った。焼き鳥の皮と肝を頼み、生ビールも飲んだのだが異常に安い。よく見ると生ビールはマグナムドライ、そう発泡酒。これって何か違うんじゃない?と思っては見たものの、缶で飲む発泡酒とはひと味もふた味も違って美味しく、すっかり忘れてしまった。そして部屋に戻り日記を記す。今の時刻は午後9時半。今日も2時間かかってしまった。この日記も、いよいよ明日が最終日。しかも明日は魔の強行軍。一日目を上回る距離を走らなければならない。しかしそれさえ無事にやり遂げられれば、この旅は大成功。油断など決してせず、気を付けながら帰ろうと思う。明日はいつもより早めに出発するつもり。さっさと風呂に入り、寝なければ・・・


後日、関西在住の知り合いから”ミン”の答が返ってきた。

ミンチ、だそうだ。メンチと言い慣れている関東人にとって、非常に新鮮な響きであった。


データー

出発   午前7時30分

到着   午後8時頃

走行距離 301キロ(広島県尾道市→岡山→兵庫県神戸市)

01-08ひたすら3800キロ、旅8日目 2003/12/27

朝6時20分起床。さすがに昨日の強行軍の後、夢も見ない程に熟睡だった。7時にたった一人の朝食。この間よりも家庭的な食事。炊き込みご飯と魚の干物が美味しかった。準備をして支払いを済ませ、しっかりと暖機した後7時30分出発。相変わらず風は強い。せっかく暖気はしたもののフェリー乗り場までは100メートル。

定刻よりも5分遅れの8時10分出航。動き出すとすぐ、大きく揺れ始める。そして外海に出たとたん、一昨日の長崎ので揺れを上回る荒波の洗礼を受け、それでも船は加速する。

揺れにもめげず子供達は大はしゃぎ。何でも楽しさに変えてしまう、そのあどけなさが俺にも欲しいと思う。瀬戸内海を見ようと選んだ場所は、船が切り返したので太平洋側だった。しかし高くなりつつある朝陽と、ちぎれた綿菓子のように、でも刻々と姿を変え流れる雲と、凪で眩しく照り返す幾重にも波が重なった海が、最高のコントラスト。何度も写真とビデオに収めた。

波の荒さは、まるで漁船が荒波に揉まれるようで、演歌が良く似合う(笑)。航路の半分あたりまで来ると、波はだいぶ大人しくなった。ここでWaltzInBlueを聞き、続けてsomedaysomewhereを聞くと、すぐに三崎へと到着。

ここからしばらくは、四日目の夕方を逆送するコース。雲の切れ間から優しく、でも直線に差し込む光が海を照らし、神様の光のよう。しかし反対車線なので諦めて走り続ける。風は相変わらず強く、低い気温に輪を掛け、身体は凍える。伊予市へ向かうための分岐が近づいたその時、愛媛を嫌いになる出来事が起こった。

片側一車線、追い越し禁止の下り坂。前方の自動車がブレーキを掛けたため、俺も軽くブレーキを踏むと、突然後続車が追い越そうとしているのがミラーに映ったのだ。制限速度を超えている状態で対向車も近づきつつあるのに、だ。当然、その自動車はギリギリの幅寄せを仕掛けてくる。

俺はいつも、危険な幅寄せを受けたくないために後続車が居るときは道の中央を走るのだ。その自動車の運転手は、余程距離感がないのか俺のバイクの半分以上まで追い越し掛けて、対向車に気づいたらしい。クラクションを鳴らし睨みつけると、諦めて後ろへ戻っていった。スクーターといえば、原付としか思っていないのだろうか?こんなに大きな車体なのに。怒りつつも左折して、今度は国道387を北上。すぐに長いトンネルへ入った。たぶんこの旅の中で一番長いのではないだろうか。トンネルを抜けた途端、強烈な横風を受け車体が大きく揺らぐ。瀬戸内が近づき、風は大人しくなるとばかり思っていたのに。

小さなトンネルを2つ抜けると、見晴らしが良くなった。しかし強風は相変わらずで、波が激しく打ち付ける。

海沿いの道路の上には幾つもの水たまり。きっと時々ここまで波が飛んでくるのだろう、かぶりたくないよな、なんて思っていたら、よりによって一番激しい波が、それも俺のバイクの走った瞬間だけ、吹き出したのだ!ヘルメットの上からフロント全部、もちろんジャケットが水浸し。思わず、「カラリオ」のCMで柴咲コウが波をかぶって叫んだのと同じように濁点三倍で「ギャッ」と叫んでしまう。当然、すぐ岩陰に隠れ、タオルで軽く拭いた。しかし塩の混じった水はいくら吹いてもミラーが白く濁り綺麗にならない。口に付いた水しぶきを舐めると、当然のこと、しょっぱい。しかし昨日から驚くことばかり。粉雪の舞う中を走ったかと思うと、今日は波をかぶった。たぶん波なんて、もう2度とかぶることなんて無いだろうな。長浜町でスタンドに寄り給油。そこでトイレを借りたついでに、ミラーをしっかりと磨く。風さえなければ文句なしに綺麗で快適に走れるだろう国道378。しかし強風に煽られて、走りを楽しむどころではない。加えて右手を遮る山並みのせいで日陰なので、ものすごく寒い。耐えながら走ると、すぐに伊予市に入った。相変わらず日陰ではあったが、町中は建物が風を遮ってくれ幾分ましである。ここでまたまた、愛媛を嫌いになる出来事が。

後続車が異常に煽ってくるのだ。制限速度を超えて走っている俺をだ。さっきの自動車のように幅寄せしながら抜かそうとしてくる。それが駄目だと分かると今度はブレーキを踏めないほど車間を詰めてくる。まったく嫌な自動車だ。怖いので抜かせたが、松山市内に入ると軽い渋滞があり、すり抜けた俺は再び前を走ることとなる。だがその自動車は相変わらずで、相手がバイクでなくてもお構いなしに煽っている。そんな乱暴な運転を見ていると、他の自動車のマナーの悪さも気になってくるものだ。無理に脇道から飛び出して割り込もうとする奴、信号が赤に変わっても止まらないで走りすぎていく奴。どうして愛媛の人はこんなにせっかちで、マナーが悪いのかとしみじみ思った。たぶん今回通った県の中で最悪だと思う。ここで国道196へ。その自動車はこの近くに住んでいるようで、程なく右折し消えていった。尾道までつき合わされなくて良かった、とホッと胸をなで下ろす。北条市からは再び海岸線沿い。だが瀬戸内の島が多くなったためか、波はかなり静かになる。途中ビデオと写真を収めた。海は九州のように澄んでいるが、綺麗なエメラルドブルーではなく、碧と表現する方が適当か。小さな砂浜がその碧の中に溶けるように消えていくのが印象的だった。大西町へ入ったところで、県道15へ折れる。街並みを抜けると国道317に入り、いよいよこの旅で一番高い有料道路、しまなみ海道だ。しかしこの道を通らないでフェリーに頼ると、尾道入りは何時になるか分からない。痛い出費ではあるが、迷うことなくループを走って入り口へ。この道路は未開通区間があって、どのように支払うのか疑問だったのだが、非常に分かりづらくなんと最初は入り口で支払い。その後は高速のようにチケットを受け取り、降り口で支払うのだ。もう少し分かりやすく出来ないものだろうか?自動車では面倒くさくないだろうが、バイクでは支払うたびにグローブを取ったり、お釣りをしまいグローブをはめるために路肩へ寄せなければいけないのだ(ハイカという手もあるのだが・・・)。だがそんな考えも吹き飛んでしまうほどに、雄大な眺めだった。この橋からゆっくりと写真が撮れたらどれだけ綺麗だろう。もっとも、遮るものが何もない海の真上、それもめちゃめちゃ高い場所。バイクに乗り始めてすでに7万キロほど走っているが、未だかつて経験のない猛風に煽られる。それもまた、快感ではあるが。朝から続く寒さに我慢できなくなり、因島の大浜PAでトイレに立ち寄る。そこで地元の人が声を掛けてきた。旅の途中だと伝えると、親切にも尾道への降り方を教えてくれた。感謝である。再び走り始めると、もうすぐだと思う気持ちがはやる。20年もあこがれていた街が、とうとう見えてくるのだ。逸る気持ちを抑えつつ、因島大橋を越える。向島は名前の通り、尾道の向かい。ここからは尾道だ。市境の標識を見て、気持ちがさらに高鳴る。ゆるいカーブを過ぎると、とうとう最後の橋と街並みが見えた。映画で見たのと同じ景色。

左手で力強くガッツポーズをし、やった!!と大声で叫んだ。嬉しさがたまらなくこみ上げてきた!!

とそこで、予想もしていなかった不思議な光景に出くわす。天気雨だ。この旅は、いろいろな天気に出くわした。この天気雨もきっと忘れることが出来ないだろう。尾道大橋を越え、国道2のバイパスから国道184へと折れる。まずは宿泊場所を探そうと駅前を走るが以前調べて置いた観光案内所らしきものが見あたらない。そればかりか、駅前は再開発をしたようで小綺麗になっている。20年のブランクを思い知ることとなった。どんなに歴史の残る街でも、街並みは変わっていくものなのだ、と。ぐるっと一回りしたがさっぱり分からないので、最初に出くわしたホテルを選んだ。後で分かったことだが、他の旅館を選んでも数百円しか変わらなかった。それにこのホテルの場所は、運良くさびしんぼうのロケ地へのアクセスがし易かったのだ。この偶然にも感謝しなければいけない。午後2時過ぎチェックイン。部屋に荷物を置いて、まずは昼食をとることにした。駅前でラーメンを食べた。幅が狭い平麺で油の浮いた醤油味のスープだが、あっさりしていて美味しかった。その足で、駅で見つけた「おのみちロケ地案内図」を見ながら、まずは東側を目指した。渡船の乗り場はすぐに分かった。海沿いに新しく立派な歩道があるにも関わらず、渡船のすぐ脇は映画の頃のまんま。古びたコンクリーの堤防の上から、さびしんぼうの主人公ヒロキのようにファインダーを覗く。傾き始めた夕陽が、渡船の立てたさざ波に輝き、映画を彷彿とさせる。この街は、こんなにも綺麗な風景が、当たり前のように毎日繰り返されている。尾道の魅力はそんなところにあるのだろう。

次は、ヒロキが小僧姿で走った商店街。前もって映画を見返さなかったことを後悔した。はっきりとどの場所かは特定できなかったのだ。しかし百合子が自転車で商店街から路地へと抜けていった場面を思い出し、それらしい場所は見つけた。そこから引き返し、今度は駅を越えた所で北側を歩く。この辺りは昔ながらの家や、人しか通れないほどに細い路地が目立つ。映画に出て来た千光寺公園への登り口を探したが、細い路地を何度も迷い、気づいたら栗原川まで来ていた。最後にもう一度探そうと諦め、西側のロケ地を目指すことにした。またしても、何度も何度も道に迷う。でもこの街は、迷っても焦る気が起きない。かえって楽しいのだ。まったく不思議な街だ。次は一番行きたかったヒロキの家、西願寺。尾道大橋を渡っている時しっかり目に飛び込んできたので、すぐ見つかるだろうと思っていたが、間近の路地からでは家々の陰に隠れ、高い場所が全く見えない。何度も丘沿いに向かっては戻り、何度も線路沿いに行ったり来たりした。坂を上るたびに息は切れ、汗が噴き出す。その間にも陽は傾いていく。またしても天気雨。太陽と古い家と、雨のコントラストが素晴らしく、ビデオに収めた。しかし西願寺は見つからない。赤く染まり掛けた流れる雲が、ipodから流れるさびしんぼうのサントラと相まって、自分が映画へ溶け込んでしまった気分。

年輩の地元の人に場所を訪ねて、今いる場所よりも右か左かを教えて貰おうと思ったら、親切にも詳しい人に聞いてくれて、その人から直接道を聞いた。親切に恵まれたことに、改めて感謝しなければ。この旅は、人の親切が身にしみる旅だ。説明は非常に分かりやすく、数分で辿り着くことが出来た。はじめから聞いておけば良かったかな、とちょっと後悔。今度も又階段ではあるが、目前に目的地があると自然と足も軽くなる。ヒロキが何度も行き来したであろう階段を上がり、境内へ入る。

さびしんぼうのタツ子と年をとったタツ子が逃げまどうシーンが、目の前の景色に重なって見えた気がした。

フキばあちゃんの居眠りする縁側、ぼけ防止で指数えをするお墓。この場所だけは、どうやら記憶にすっかり焼き付いていたようだ。お騒がせしてすいませんと心の中で手を合わせ去ろうとしたとき、磨かれた小さな石碑が目に留まる。そこは偶然にも美術監督であった薩谷和夫氏のお墓であった。手を合わせ、目を閉じ、映画の素晴らしさを教えてくれたことに、そしてこの地に来られて再び感動を味わえたことに、感謝を伝えた。次はお寺下の四つ角。タツ子とヒロキが会話を交わすきっかけとなった場所だ。自転車のチェーンが外れ、言葉を交わすきっかけが生まれた、最も好きなシーンである。いかにも映画らしいけど、実際にもありそうな、自然な出会いだった事を思い出す。5時を過ぎ、夕焼けの中、一度、二度と寺の鐘が鳴る。こんなに間近で聞いたのは初めてだ。迷って遅れたことが、またしてもこんなに素晴らしい偶然を生んでくれたのだ。ここで陽が暮れてしまったので、残りは明日の出発前に巡ることにした。ホテルのフロントでおすすめの場所を聞き、昼間通り過ぎた商店街を抜けた先に昔からある食事処へと入る。店の売りであるオコゼの料理が食べられるコースにした。

野菜の炊き合わせ、小鉢が2品、クラゲ酢、赤かぶとイカのゴマ和え、オコゼの唐揚げ、そしてウニ飯の計7品。お酒も飲まないのに、ゆっくりと時間が流れる。この旅で一番豪華で、一番高い食事だったが、質の高い料理と雰囲気に大満足だった。そしてその余韻を味わいながらホテルへと帰り着いたのは7時半。日記を書き始めて、すでに3時間が経ってしまった。

今日の移動距離は短かったけど、充実した一日だった。あとは鹿嶋に向けて帰るだけ。しかし昨日の夜、判明したことが一つ。徳島から東京行きのフェリーに乗るためには、もう一泊しなければ無理なのだ。しかも年末。乗れるかどうかも怪しい。そこで考えられる帰り道は2つ。下道をひたすら走り、もう一泊する。もう一つは寒さを我慢して、止まらず泊まらず夜通し走るかだ。今のところ、後者になる確率が高い。後は天気次第だろうか?


データー

出発   午前7時30分

到着   午後2時過ぎ

走行距離 210キロ(大分県北海部郡佐賀関町→愛媛→広島県尾道市)

01-07ひたすら3800キロ、旅7日目 2003/12/26

朝6時30分起床。窓の外は闇。備え付けのお茶を飲み目を覚まし、着替える。7時に朝食。至って普通の朝食。残さずかき込んで、部屋へ戻って荷物を抱えフロントへ。昨日の親切な人は居なかったが、代わりに支配人らしい人と若い人が居た。若い方の彼はバイク乗り。こちらに興味があったようで、話しかけてくる。ツーリングが好きらしく、こぼれるような笑顔で聞き入っていた。外は予想通り寒く、でも朝見た予報での雪の確率の低さに、何とか今日は濡れずに済みそうと安心する。7時30分、暖気をしっかりとして出発。大都市らしく、速い速度で町中を流れる。曇り空で灰色の街は、夜の華やかさとはまた違う一面を見せる。平和記念像、浦上天主堂、爆心地を巡りながら、戦争の恐ろしさを実感し、何度も平和を祈った。いったいアメリカは、なぜこんな場所に落としたのだろう。小高い丘に囲まれた真ん中に落とせば、爆風は逃げ場を失い、その中にいる人全てを苦しめ焼き尽くすことなど、たやすく想像できただろうに・・・

長崎を狙ったのは、それが目的だったのだろうか?

戦争の恐ろしさ。侵略され、大量に殺害されたことのない国には分からないのだろう。イラクへ侵攻したことからも、想像がつく。歩道橋の上から路面電車を写真に収め、国道34にのり長崎を離れる。途中、ビデオテープを使い切ってしまったことを思い出し、コンビニへ寄った。

諫早市に入るまでは朝の渋滞もあり、止まる程ではなかったが割と遅いペースだった。やがて快調に流れ始め諫早湾が見えたところで、干拓工事現場の警備員に話を聞いた。

水門の向こうに見えるのは普賢岳。写真を撮りたいが綺麗に写せそうな場所はないかと訪ねると、この先すぐに運動公園があるとのこと。愛想も良く、気分良くその公園へ向かう。確かに良く見渡せた。遮るものなく、遠くなく、しっかりと収めた。北高来郡に入ると道路脇に変な建造物が時々現れた。ミカンであったり、リンゴであったり、メロンであったり。スイカやイチゴまである。のぞき込むとバス停だった。あまりにも珍しかったので、写真に収める。退屈しのぎのバス停に喜んでいると、程なく佐賀県に入った。意味もなく、頭の中をはなわの歌が繰り返し繰り返し流れる。

有明海は穏やか。沿岸には規則正しく並ぶ何百もの棒。海苔の養殖だろう。鹿島市に入るが、茨城の鹿嶋と比べると静かでのどかな雰囲気。あまりの寒さに缶のお茶を買い両手を暖める。スタンドで給油したついでに道の混み具合を聞くと、佐賀市内を過ぎたのち久留米市までは年末と言うこともあり混むらしい。そこで、昨日から考えていた海の近い国道444へと進路を変える。遮るものが何もない田畑の間の道は、快調に飛ばせるが、その分風をもろに受け身体が芯から冷えてくる。それだけでも十分なのに、小雨が降り出す始末。ヘルメットのシールドを閉めないで走る俺にとって、雨は大敵。凍える頬が、さらに冷たくさらされる。しかしカッパを着るほどでもないのでそのまま走り続けると、程なくやんだ。

この国道444は交差点に差し掛かる度に右へ左へと何度も折れる。間違うと大変なことになるので、標識を注意し見ながら先を急いだ。

渋滞とは無縁で、この道への選択は間違っていなかったようだが、やはり筑後川を越え福岡県に入ると混み始めた。寒さに震えながら、どんどん過ぎていく時間ばかりが気になる。その混雑は国道442で八女市を過ぎるまで続いた。周りが山になると、再び小雨が降り出す。黒木町、矢部村へと進むに従って標高はどんどん上がり、道も狭くくねり出す。天気が良く寒くなければ快適なワインディングなのにな、と思ってみても天気を変える力など有るわけもなく、相変わらず小雨は降り続いた。

果たして中津江村にたどり着けるだろうか?と気になり始める。途中にあった日向神ダムは綺麗だった。切り立った斜面の一枚岩と湖面を写真とビデオに収めるも、休んでいる余裕が無い気がしてすぐに走り始めた。

竹原峠が近づくにつれ、道は国道なのに自動車1台がやっとの幅となり、低速でないと走れないほどの急カーブばかりが続く。

そしてとうとう、一度止んだ雨がさらさらと舞い始めたのだ!雪だ・・・降る確率は低いはずなのにと思っては見たが、ここは長崎も佐賀も越えた福岡、しかも峠を越えれば大分県なのだ。広域の天気を気にしなかったことを改めて悔やむ。

国道442は大分県中津江村に入ると、なぜか綺麗な路面と2車線。どうやら整備が進み始めているようだ。

そう、高速を通す前に、こんな整備を優先させなければ。高速が繋がり便利になる人が居る反面、今まで通っていた自動車が来なくなり寂れる街もあるのだから。まずは生活に必要な道路が優先されるべきだろう。山の多い日本、まだまだ手直ししなければいけない道は山ほどある!キャンプ地を見つけ立ち寄ると、すでに午後1時30分を過ぎていた。そこはなんと道の駅!昔金山があったようだ。グラウンドは修復中だったので見られなかったが、土産やレストランのある建物には入れたので、ここで昼食をとることにした。地元の人なのだろうか、施設内の従業員は皆、人なつっこい感じがして話し易かった。頼んだのはもちろん、カメルーン弁当。ここまで来てこれを頼まなかったら罰が当たるでしょう。お客は俺だけだし。肝心の味はと言うと、カメルーンという南国柄、もっと濃い味と勝手な想像を膨らませていたが、意外にもあっさりと食べやすく美味しかった。一緒について来たうどんも、汁の味付けが普通と違うようで新鮮だった。食べ終わると、従業員がカメルーンのコーヒー飲みませんか?と聞いてきたのでご馳走になることにした。あまりコーヒーを飲まない俺にも違いが分かるほど、不思議な淡い味。でもさっぱりしていて好みかも。背後の窓の外では、又降り出した雪。さっきよりも勢い良く、風に流され。会計を済ませ大分へ降りる道を聞くと、親切丁寧に教えてくれた。写真を撮って欲しいとのお願いも快く聞き入れてくれ、ちょっとした冗談交じりで写してくれた。骨まで冷える寒さの中に感じた、人の温かさ。中津江村の人々の良さを垣間見、次へつなぐエネルギーを貰った。しかし外へ出ると、それをかき消すほどの寒さ。しかしめげてはいけない。阿蘇を諦めると決めた分、なるべく早く佐賀関まで戻り、明日の尾道に備えなければ。この分ならあと2時間半で帰り着けるだろうと、再び走り始める。下り坂のカーブを走りながら、何度も雪が降っては消えた。国道387で熊本県に入り、小国町を越えた辺りで雲を被った雄大な阿蘇山が見えた。走っているときには気づかなかったのだが、山頂はうっすら白く染まっていた。麓まで行きたいという衝動が再び芽生えたが、心を鬼にしてそのまま国道387を走る。ここで県境を再び越えもう一度大分県へ。九重町をしばらく過ぎた後に、進路を変え国道210にのる。大分自動車道がすぐ近くを走っていて多少は開けているはずなのに、気温はどんどん下がっていくばかり。

指先がちぎれるほど冷え、足がガクガクふるえ出す。暖をとろうとしても、自販機さえない。そんな我慢の時間が続く。

水分峠を過ぎやっと道の駅が現れた。ゆっくりしている余裕などないとは分かっていたが、このまま走ると手元が狂い事故を起こしてしまいそうなほどに弱っていたので、駐車場へバイクを止め、トイレに行った後、インフォメーションコーナーで暖をとった。空は今日始めてみる晴れ間。雲の隙間から少しだけ顔を出した日の光が眩しすぎる。あまりの美しさに、何度もシャッターを切った。どのくらい休憩したかは覚えていないが、その光景に勇気を貰い再び走り始めた。しかし体感温度は変わることなく寒いまま。山肌が一部禿げ山の由布岳を越えるまでは、記憶に残っている。でもその先は、寒いという感触以外何も思い出せない。今日の出来事をここまで書くにも、記憶を一つ一つたどりながら、大変時間がかかった。

それほどまでに、身体は寒さで麻痺してしまっていた。特に、景色を見る場所もなかった大分市内は、全く思い出せない。

覚えているのは、佐賀関に入る直前突然渋滞したことと、それを避けようと道に迷いいつの間にか同じ場所に戻ってきて悔やんだこと。そして佐賀関で、海から吹く強風と、街路樹や商店の照明に照らされ闇に浮かぶ打ち付ける白い波。それだけ。4日目と同じ宿にたどり着いたのは、すでに夜の6時半を回っていた。当然すっかり暗闇の中。荷物を部屋に置かせて貰い、前回食べられなかった関サバの料理屋へ行く。関サバ・関アジの刺身と煮物の定食。煮物はとろけるように柔らかく、刺身はプリプリし身が締まって噛みごたえがあり、最高に美味しかった。帰り道、寂れたコンビニでビールを買い部屋へと戻る。風呂は凍えた体にちょうど良い温度で、ゆっくり浸かれた。これでビールを飲んだら、今日も熟睡だろう。そして明日の昼過ぎにはいよいよ、長年の夢であり最後の目的地、尾道へ。

この旅の締めくくりだ。

半日でどれだけ歩けるか分からないが、しっかりと記憶に焼き付けたいと思う。


データー

出発   午前7時30分

到着   午後6時40分頃

走行距離 334キロ(長崎県長崎市→佐賀→福岡→大分→熊本→大分県北海部郡佐賀関町)

01-06ひたすら3800キロ、旅6日目 2003/12/25

朝6時50分目覚める。カーテンを開けると、昨日の夜には全く見えなかった部屋からの展望が拡がる。このホテルは小さな入り江の奥にあったようだ。夜中聞こえてきたさざ波の音は、今も同じ。邪魔するものは何もない。自動車の排気音など全く無縁の世界が目の前に拡がっている。

水平線は朝の予感。薄紫の層の上には、ほんのわずかにオレンジ色。そして濃い水色から深い碧へ染まる空。一隻の漁船が湾を横切っていく。やがて朝が訪れる。静かな波の上に、まぶしい朝焼け。この部屋で見る初日の出は、どれだけ綺麗だろうと想像してしまう。7時半、1階のレストランで朝食をとる。夜食とは違い質素で、至って普通の朝食。まぶしい朝陽と海の照り返しを全身に浴びながらかき込む。部屋へ戻り出発の準備をして、フロントで残りの会計を済ませて8時に出発。伝票を見ると夜食が3000円で朝食が1000円。と言うことは素泊まりなら3500円と言うことだ。なんという安さだろう?これには改めて驚いた。まずは、昨日叶わなかった佐多岬へ向かう。朝8時から開く有料道路は、平日のこの時間と言うことで他の客は誰もいない。暖気は十分にしたのに、アイドリングがばらつき気味でエンジンは不調。そのエンジンを労るようゆっくりと、グアムのような粗めのアスファルトを右へ左へと曲がりながら緩やかな登りを10キロ近く走る。終点は山を切り開いたような小さな駐車場。初めてみるガジュマルの木の下にバイクを止め、トンネルの入口で入場料を払って岬へ向かう。犬吠埼も、野島崎も、室戸岬も、足摺岬も、駐車場のすぐ脇が岬だったので、そのつもりで意気揚々と歩き始めるが、トンネルを抜けてビックリ!緑だけに覆われた山道の彼方に小さなタワーが見えたのだ。あそこまで行かなければならないのか?しばらく下って、少し登ると、10分ほどで九州最南端の神社。ここはかなり古い歴史を持つようで、この旅の安全を願いつつもおみくじも買う。

吉。

書いてある内容によると、家庭の不和と、女運に気を付けなければいけないようだ(笑)。当たっているかも・・・そこからは緩やかな登りが続き、駐車場から20分ほどかかってやっと佐多岬へ到着。息は切れたままだが、本土最南端の標識にだんだんと実感が湧いてくる。

数百メートル先の灯台をのぞけば、見渡す限りの海、海、海。霞んで見えなかったが、この先に種子島や屋久島があると思うと感慨もひとしお。

ガッツポーズをし、しばらく感動に浸る。涙が出そうになった。下らないことでクヨクヨしていることが、どれだけちっぽけなことなのか、分かった気がした。10分ほどそこで風を感じ、再び駐車場へ向かう。行きは下りが多かったから、当然のこと登りが多い。行きは良い良い帰りはなんとか・・・さっき治まった息は10分もたたずに再び切れだし、トンネルの手前にたどり着いた頃にはゼエゼエ。昨晩喘息の薬を飲んでいて良かったと感じつつも、息は治まらず、越えれば駐車場なのに、古びた木のベンチに腰掛け休憩をとった。

やっとのことでトンネルを抜け駐車場にたどり着きバイクの暖気を始めると、さっきはなかったバスから運転手が降りて近寄ってくる。話しかけてきたので、こちらの旅のことやバイクのことを色々と話すと、真剣に聞き入り色々聞き返してきて、思いの外話が弾んだ。そこでちょっとショックな話を聞いた。民間の運営するこの有料道路と施設は、近いうちに閉鎖になるかもしれないと言うこと。親会社の経営破綻のあおりで、切り捨てられるかもしれないのだ。突然思い立った旅ではあるが、改めて、この寒い中旅だったことに運命を感じた。9時10分過ぎに運転手に別れを告げて、佐多岬を後にする。次はもう走れないかもしれないと思うと、ここまでやり遂げた充実感と寂しさが交差して、複雑な気持ちになった。と、その気持ちをうち消す出来事が!なんとイノシシが道のど真ん中に!こちらもびっくりしたが、向こうも驚いたようで、馬が前足を跳ね上げるように、ものすごい勢いで草むらの中に消えてしまった。突然驚かされた後に待っていたのは笑い。大爆笑は止まらなかった。

やがて料金所へ。地元のおばさんが立ち話をしていたのでイノシシがいたと言うと、当たり前のことのように笑って返す。どうやら全く珍しくなく、ここでは共存しているようだ。そう言えば名産が黒豚だった。ここから県道68へ。昨日走ったのは大隅半島の東側だが、西側は国道も太い道路で快適。昨日の出来事がまるで悪夢のようにさえ感じた。程なく国道269へ出、暖かさで霞んだ対岸の指宿を見ながら北上。途中、風力発電の施設を写真に収める。一度県道68へ入り、今度は国道220。垂水市から桜島を眺めつつ、今日一回目のフェリー。晴れた空の下、太陽を全身に浴びながら、短い船旅は40分弱。

到着した鹿児島は大きな街だ。車道も歩道も幅広く、街は綺麗に整備されている。標識もしっかりしているので、迷うことなく市内を抜け国道3にのり、川内市を目指す。

昨日の宮崎とは違い、この町は穏やかで、流れる自動車もゆっくり。このまま国道3で海へ出るのも良かったが、この旅は海縁を走る機会が多いので、あえて山間の県道36を快調に飛ばす。この頃から空が曇りだし、太陽が磨りガラスの向こうのように丸い輪郭を見せる。

海沿いの川内市は小さな街ですぐに通り過ぎ、午後1時20分、町はずれのコンビニでいつもながらの遅い昼食をとる。再び走り始めるが相変わらずアイドリングはばらついている。昨日までのハイペースのように目一杯吹かす状態でないのも原因かもと思いつつも走り続ける。幸い、信号待ちでエンストすることはない。程なく見えたのはこの旅初めての東シナ海。風は昨日までとは違いかなり強く、大陸からの風かと思うと、改めて遠くへ来たことを感じる。阿久根市で国道389へと折れる。黒之瀬戸大橋を越え長島に入ると、風はさらに強くなる。カーブを走っているとバイクがふらつき、怖くなって何度もスピードを落とす。それでも地元の人には風なんて当たり前のようで、何度も後続車に先を譲った。この日二番目のフェリーが出る蔵之元港には、ちょうど良い時間に着き10分ほど猫と戯れ出航。便数が多いせいか、船も綺麗で快適な海の旅。風は強くとも、波はない。30分で下島に上陸。ここはあの有名な天草だ。

走りながら悩む。長崎へ一直線の富岡港のフェリーは1日に4便。島原湾の入り口の島鉄フェリーは便数が多いが長崎は遠い。宿泊先を探すには大きな都市が簡単だから何が何でも早く長崎に着きたいのだ。悩みつつもそのまま海沿いへと進み富岡を目指すことにする。

大江天主堂を左手の丘の上に見つけるが、写真を撮るには遠かったので泣く泣く走り抜けた。海沿いの国道389を走る自動車はあまりなく、時々強風に煽られながらもハイペースに走る。程なく火力発電所が見えたので、フェリー乗り場のすぐ近くまで来たことを感じる。富岡は静かな街だ。冬休みに入ったせいか、子供達の姿が多く目に付く。夕方5時を目前にして、帰宅を促すチャイムが響く。九州に来て聞くのは2度目だが、鹿嶋と違い、しっかりとアナウンスが入るのは、人の温かさが感じられて良いと思う。鹿嶋の役所も見習うべきではないか?ただ”良い子のみなさん・・・”と言う言葉遣いは、かなりこっぱずかしいかも(笑)フェリーはこれ又運良く、30分ほどで出航の予定。今日のフェリー3つ全てのタイミングの良さに感謝する。5時20分、フェリーは出航。外海に出る前、すでに大きく揺れ始める。外海に出ると完全にドリフのコント状態。客室にかかるカレンダーが、時計の振り子のように忙しく右へ左へと揺れる。曇りのために夕暮れも見られず、あっという間に闇の中へ。この旅のテーマWaltzInBlueを聞き地図を眺めながら過ごすと、あっという間に1時間10分は過ぎる。フェリーを下りたのは、午後6時30分過ぎ。長崎市街地まで10キロもないのに、静かで寂れた雰囲気の街だったのは意外だった。国道324を先へ進むと、すぐに渋滞にはまる。都市部で独特の、流れては止まりを繰り返す渋滞だ。当然期待は高まる。後10分もすれば暖かいホテルの中だ、と勝手に想像は膨らんだ。登り坂が終わり、下りに差し掛かるとすぐ、斜面全てにひしめき合うように建物の並んだ綺麗な夜景が目に飛び込む。人の数も、バイクの数も、どこから溢れてきたのかと思うほど、急激に増える。すり抜けをするのが怖いほどに狭い道なので大人しく待っていると、その横を次々にスクーターが過ぎていく。まるで東京のよう。斜面を下り終え市街地へと入り、橋を越えてすぐに路面電車とあわせるよう右折したが、これは大きな間違いだった。大きな街に麻痺して、方向を見誤っていたのだ。

道路脇にホテルがないか注意しつつ走るが、一向にそれらしいものが見あたらない。当然だ。一番流行っている駅前通でないから、すぐに街並みは終わり。諫早市へ抜けるバイパスの前へと出てしまった。引き返したいが、自動車の流れが速く、道を見極める余裕もなく、諦めて信号を右折し脇道から丘の上を目指した。しかし適当に走っていても分かる訳はなく、静かな街の中をぐるぐる回る羽目に。どうしよう・・・と何度も悩む。人に出くわさないから道も聞けないし、仕方なしにぐるぐると走り続ける。やがて信号待ちしている目の前に派出所を見つけた。駐在さんは、泊まる場所を聞かれて一瞬困った顔を見せたが、地図を広げて真剣に探してくれた。その駐在さんの案内でやっとホテルへとたどり着くことが出来た。この時、すでに夜8時。今日ばかりは、高くても仕方ないと諦めつつフロントに聞くと、泊まれるという。夕食は無理だったが朝食付きで8400円で泊まれることになった。しかも長崎での目的地、原爆公園や浦上天主堂に自動車で10分ほどという場所でもあった。このホテルのフロントは、今日まで泊まった中で一番しっかりした接客で、かなり好感だ。食事する場所を聞いたが、名物の中華街は殆どが8時でオーダーストップ。ホテル内のレストランはディナー予約のみで食べられず、諦めてコンビニにすることにした。場所を聞くとすぐ近くのよう。”買ってきて持ち込みはまずいですよね?”と駄目元で聞いてみたが、これがなんと笑顔で”構いませんよ”とのこと。本当はまずいのかもしれないが、旅の事情を察してくれたのだろう。つくづく好感の持てる接客だ。部屋は小さく、狭いが、過ごすには十分。今日までのホテルと違い、パソコンを置く余裕のある机もあった。荷物を置き部屋を出、教えてもらったコンビニを探す。途中ケンタッキーがあり、今日がクリスマスだったことを思い出す。こんなに暖かいクリスマスは初めてだなと、考えているうちにコンビニを見つけた。弁当を買おうと思ったが無性にチキンが食べたくなり、スパゲッティーと飲み物だけを買いケンタッキーへ向かう。受付のバイトが、品物を渡すのを忘れたまま”ありがとうございました”と元気良く挨拶したが、他のバイトが慌ててその子に品物を渡したところで大テレ。妙に可愛かった。そして戻ったホテルのロビーで缶ビールを買い、一人寂しく、でも充実した旅に感謝しながら、チキンを頬張った。日記を書くことに一生懸命で、もう11時になるというのに風呂にも入っていない。今日はこの旅初のユニットバス。泊まれただけでも感謝しなければならないから、贅沢は言えないか。さて、入るとしましょう。


追伸 明日の天気が心配だ。最高気温は10度。それ以上に気になるのが、雪がちらつきそうなのだ。明日は、中津江村から阿蘇へ抜ける山中コース。路面は大丈夫だろうか?無事に佐賀関に到着出来るだろうか・・・


データー

出発   午前8時ちょうど

到着   午後8時頃

走行距離 279キロ(鹿児島県肝属郡佐多町→熊本→長崎県長崎市)

01-05ひたすら3800キロ、旅5日目 2003/12/24

朝5時50分起床。昨夜食堂の帰りにビールとつまみを買った。アルコールのせいか目覚めは早かった。ビジネス旅館はかなり古い建物で、窓ガラスも薄く脇の国道を通る自動車のタイヤの音が良く聞こえていた。7時に1階の食堂に行くと、すでに食べている人がいた。俺を含めて3人。目玉焼きや納豆、他数品の質素な朝食だったが、この旅で一番ご飯がうまかった。食事を終え部屋に戻り支度をし会計を済ませる。女将さん(おばあさん)といろいろ話していると一つの疑問が解決した。やけに社員寮のような作りだと思っていたら、近くにある大きな工場へ鉱石などを納入する海運会社の社員寮だったのだ。不況で社員が減り、海外の船員も増えたことで一般のお客さんを取るようになった。しかし訪れる客に分かりづらいため最近看板を掲げたとか。古くても、この料金と人の温かさは何ものにも代え難い。帰りにももう一度寄りたい、そんな気にさせてくれる旅館だった。外に出るとここ数日と違い、朝早いにも関わらず明らかに暖かい。当然まだ朝焼け。かすむ空気の中、国道217を臼杵市、津久見市と走り抜ける。波もほとんどない静かな海は新鮮だ。県道36に入り山間を走ると、急に空気が冷え込む。標識に従って県道219へ折れ国道10に合流。空気はさらに冷え込む。途中の道路案内板によると気温4度。しかしここ数日の夕方に慣れているためさほど寒くは感じない。延々と続く適度なワインディングに、バイクを操る楽しみが増す。と突然、昔ながらの造りの寂れた駅を発見。こんな駅を写真に収めたいと思っていたので、通り過ぎていたのを引き返す。どうやらここは映画のロケ地のようだ。案内の看板には大林宣彦「なごり雪」とある。この旅の締めくくりは尾道と決めていた俺には、こんなに素晴らしい偶然はない。写真とビデオを収めていると、犬をつれたおばさんとすれ違い、挨拶したことがきっかけで5分ほど話すことが出来た。撮影の時のエピソードや、鉄道が開通したときから変わっていない駅舎とか、昔ここで売っていた饅頭の話とか。ショックだったのは、数年後にこの駅舎が取り壊されてしまうと言うこと。なんてもったいないことをするのだろう。どうして何でも新しいものに変えようとするのだろう。古き良きものが残るべき権利もあるはずなのに・・・たまらずおばさんに、こんなに懐かしい雰囲気の漂う駅なんてもうほとんど残っていませんよ、残すべきですよ、と伝える。そうですかぁ、と聞いてくれていた。そしてお話しできて良かったです、と別れの言葉を残し再びバイクで走り始める。山間のこの辺りは路面が濡れていて、この旅初のリア滑りを経験。

カーブの多い坂を下りながら、13番目の県宮崎に入る。今の今まで一生縁がないかもしれないと思っていた県に、とうとう入ったのだ!さっきの駅のように、映画に出てくるような細く頼りない昔ながらの鉄橋と、道路が何度もクロスしていく。朝靄に煙るその姿は、まるでファインダー向こうの芸術写真。バイクを止められる場所を見つけて撮った。残念ながら最高のポイントは逃してしまったが、良い写真が撮れたと思う。ガソリンの赤ランプが点滅し始めたが民家もない場所なのでスタンドはないし、まだまだ大丈夫と先を急ぐ。横を流れていた川幅が急に広くなると延岡市。土々呂で海に再会。空気も暖かい。日向市を過ぎると、景色は完全に房総半島の南東と同じ。懐かしく感じながら走っていると、幅の広い一ツ瀬川を越える。宮崎市は市内を走るかどうか悩んでいたのだが、ガソリンがまだ持ちそうなので有料の一ツ葉道路を走ることにした。出発して4時間半、12時を過ぎていた。ここまでは至って快調。目に映るのはテレビでしか見たことのない景色。中央分離帯にシュロの木が連なり、沿道には防砂林。そしてひたすらまっすぐな道路。九十九里有料道路なんて比べものにならないほどの素晴らしい景色。気温が高いせいで、彼方は霞んでいる。途中のパーキングで一休みし、この旅で初めて砂浜へ降り立った。真っ白な砂に、真っ青な海。記憶とカメラ、ビデオに焼き付ける。宮崎は、バイクの防寒ジャケットでは暑すぎるほどに暖かかった。南の異国に来ていると錯覚する、そんな夢のような時間は過ぎ、市内へと入る。さすがに県庁所在地は大きい。真っ平らな土地に延々と拡がる都市。道路も広く、さほど混むこともなく流れていく。しかし異変は突然訪れた。信号に止まるとエンジンの回転が不安定にばらつきだし、アクセルをひねると、ボボボッと唸った。以前バハ(ラリーで使うような形のオフロードバイク)で経験した、リザーブタンクへ切り替えるときのガス欠の感触。エンジンはすぐに止まってしまった。16年のバイク生活で、初のガス欠だ!しかし市内だったことが幸いして500メートルほど押し、給油することが出来た。その量11.5リットル。12で満タンだから、完全にアウトだったのだ。しかしこのバイクは便利な分、重たいことを思い知らされる。たった500メートルなのに、スタンドに着いた時にはもう足がガクガクになって、息まで切れてしまった。従業員に、鹿児島の佐多岬へはどのくらいかかるのか聞いてみたが、この辺の人はあまり行かないようで分からないとの返事だった。街を抜け国道10から国道220へと道を逸れるとすぐにコンビニへ止まり、いつもながらの遅い昼食をとる。

再び走り始めると、広大な平地はここで終わり。今度は海沿いの山の縁だ。左手の眼下には、サザエさんで見た(笑)鬼の洗濯板がいくつも続く。日南市へ入ったところで道の駅を見つけ一休み。行く手には限りが見えてきた。この先が最大の目的地かと思うと、アクセルをひねる手も、傾く身体も、軽やか。眼下の海は岩場ばかりだったのが、突然小さな真っ白い砂浜が現れる。”日南海岸ふと”と大きな看板が目に付く。横道へ逸れ砂浜へ降りてみると、若い女性がポツンと一人だけ座っていた。ゆっくりしたかったが、先を急ぐため写真とビデオを収めただけで再びスタート。この山を越えればゴールが見える、そう思いながら走っていると、再び湾に出て、またその先に切り立った島々のような山が見えた。ここでR448へと変わる。今どこを走っているのだろう?もうすぐ岬に違いない、そう信じて山間の道を上がっていくと、木々の生い茂る山のてっぺんに宇宙観測所のパラボラが見えた。本当なら寄りたかったのだが、写真に収めて先を急いだ。

山を下りると小さな町に出くわす。沿道には警察官の姿。旗を出して止められたので検問かと思ったら、その脇にいた小学生達と一緒に交通安全の呼びかけとおみやげを渡しているとのこと。都会の無愛想な警察官ばかり見てきた俺にとって、その警察官は清々しい好青年。こんな心優しい公務員もいるんだなと関心。しかし小学生達はさらに純情無垢。大きな声で挨拶をして、俺も童心に返ったように”こんにちは”と声を掛ける。”気をつけてください”とおみやげを渡した小学生はかなり照れくさそうだった。その場に居合わせた地元の人に、佐多岬までどれくらいかかるでしょうか?と聞くと、道を聞きながら行けば2時間くらいかな?と言われて、ちょっとショック。ま、信号も少ないからこのペースなら1時間もあれば着くだろうとタカをくくったのは、失敗だった。そう、民家は消え細くなった道はどんどん山奥へ、陽はぐんぐん沈んでいき、さらに道は山奥へ、時々出会う民家も数軒で消え、やがて自動車1台やっと通れるような最悪の道へと変わっていったのだった。宿泊出来るところはあるのだろうか?なかったらどこまで引き返せばいいのだろうと、心配は募るばかり。途中突然現れた「ナウシカ」に出てきそうな風景と、たくさんの風力発電の風車に励まされるも、道は舗装されているものの完全に山間の1本道状態。もう駄目だ・・・この寒空、ジャケットにくるまって朝を迎えるのか・・・山の向こうに陽が沈んでいく。今まで見たことのない、オレンジ色の空を、少しずつ闇へと変えながら。もうすぐ6時だというのに。関東ではとっくに真っ暗なはずなのに。でも、希望のかけらは沈む夕陽の残す余韻のように消えていく。久しぶりに10軒ほどの小さな集落が見えた。ここに民宿がなければおしまいだ・・・そう覚悟を決め道を進む。だが希望空しく、人の姿もない小さな港に出くわし、道はそこで終わっていた・・・これで一巻の終わりだ。岬にすらたどり着けないなんて…悔やんでも仕方ない。諦めて引き返すことにした。空は完全に闇。すれ違う自動車さえない。ところがそこで偶然に路線バスを見つけ、そのまま着いていくことにした。きっとどこかに出るだろうと信じて。バスは信じられないほどのハイペースで細い山道を進んでいく。脱輪したら2度とあがれないほどの道を何のためらいもなく・・・慣れない俺は着いていくのがやっと。離されては追いつきの繰り返し。でも頑張った甲斐があった。さっきよりも民家の数の多い、ほんの小さな集落に出たのだ。でも旅館らしいものはなく、それでも着いていった。しかしバスは、夜間閉鎖となる佐多岬へつながるバイパスの前で終点を迎え、止まってしまった。もう、ここからは一人で探すしかない・・・「辛かったな、今日のコースは。」「ああ、無理するんじゃなかった・・・」希望が消えると、いくつものことが頭を過ぎった。悔やんでも仕方ないと、励ましてきたのに。細い路地へ、フラフラとバイクを走らせた。とそこに、周囲からは想像もつかない真っ白で綺麗な建物が。しかも地上5階。もしや、と近づいてみると・・・ホテルだったのだ!!ここにあるだけでも驚きなのに、ロビーに入ると心臓の鼓動が早くなるかと思うほどさらに立派な造り。つい最近出来たばかりのような、洗練されたホテルだったのだ。フロントで聞くと泊まれますとのこと。心から”良かった〜”と大きな声で叫んでしまった。涙が出るかと思った。「砂漠のオアシスみたい」とは良く言ったものだ。まさしくその通り。しかも料金が安い!朝夕食付きで¥7500とは、いったいどういうことだろう。この場所で、こんなに素晴らしい設備、関東地方の金銭感覚だったら1万円以上とられても納得してしまうのに・・・部屋は4階だった。民家もほとんど無いため外は真っ暗で何も見えなかったが、窓を開けるとさざ波の音だけが繰り返し繰り返し漂っていた。こんなに素晴らしいホテルに巡り会えて、なんて幸せなんだろう。なんて運が良いんだろう。波の音を聞きながら、そんな余韻にしばらく浸った。その後夕食をとるためレストランへ行く。これがまた凄い!質・量共に最高!品数も多く、すっかり満足して部屋へと戻った。今日はあまりにも長い旅だったような気がする。この日記を書くのにも1時間半もかかってしまった。でも、これから生きていく上で、忘れられない、最高で、最長の1日だったことは確かである。この旅に出て、本当に良かった・・・


データー

出発   午前7時45分

到着   午後6時

走行距離 426キロ(大分県北海部郡佐賀関町→宮崎→鹿児島県肝属郡佐多町)

01-04ひたすら3800キロ、旅4日目 2003/12/23

夕べ食事後にもビールを飲んだせいか、朝4時30分というとんでもない時間に目覚める。テレビを見ながら時間をつぶすが、東京圏内とは違ってテストパターンの嵐。唯一日テレ系のTV局がNNN24を放送していた。5時を過ぎたあたりから他局も放送が始まるが、ここで意外なことに気づく。通販番組は、どうやら全国共通らしい。マッハ文朱が出ていた。やがて7時になり、朝食のためにロビーへ降りる。距離メーターの写真を撮ったところで、厚着をした50代の男性に声をかけられた。埼玉県の入間市から来たとのこと。自転車で四国を回っているらしい。その人は鹿嶋を知っているようで、話に花が咲く。かなり前に亡くなった母親の家がこちらにあり、誰も住んでいないその家に2ヶ月程滞在しながら仕事をしていたという。家で仕事?もしかして物書きかな、と勝手に想像していたら、食事が終わり出発するときにもう一度出会い、聞いてみるとやはり小説家だった。まだ本にはなっていないが、雑誌の連載が終わり一息ついたところとのこと。嬉しくなってつい、自分も趣味で書いていると伝える。これも何かの運命なのかもしれない。せっかくの出会いも、惜しいけれどここでお別れ。朝7時30分出発。四国の朝は遅い。東側が山ということもあり日陰で底冷え。寒さに震えながら高知市を目指し国道55を走る。朝焼けに染まる土佐湾とその向こうの山々がきれいだ。

高知市を目前にして県道14へと逸れ、再び海沿いを走る。奈半利の隣、安芸市からこの辺りまでは堤防がものすごく高い。まるで映画で見た刑務所の塀のよう。きっと弓なりの天辺に位置するせいで、昔から津波の被害が大きいのだろう。肝心の道の方はと言うと、国道でないこともあり快調に流れ、その上を高知空港へ降りようとするプライベートジェットが飛んでいた。今日最初の休憩地は桂浜。瀬戸湾を越える弓なりになった橋の高いこと高いこと。おまけに2車線で細いものだから、めちゃくちゃ怖い。「怖い怖い」と言いながら、走る。橋をあっという間に下り、いくつかの急カーブを過ぎると駐車場に辿り着いた。金を取られるのは嫌だなと思ったが、50円なのでそこに止めることにした。ここまでの所要時間は1時間。突端が突き出た形のこの浜は、波も静かで素晴らしい。坂本龍馬の像や砂浜の写真を撮り30分を過ごす。そこからはまた海沿いに進み、仁淀川を越えると県道23。道が2又に分かれていて海沿いは左だったのだが、あえて右に進む。これは正解だった。細長く10キロ近くも入り組んだ浦ノ内湾。くねくねと曲がる道は快適なワインディング。やがて道は国道56へ。この辺りからは、海を離れて山の中腹を縫うような道になるのだが、地元の人はお構いなしに飛ばしまくり。70〜80キロは出ている。昨日の白バイに、ここで納得。久礼坂や七子峠の景観は、この手の道路を見慣れない自分にとっては凄く新鮮で、路肩にバイクを止め写真を撮った。周りのハイペースに促され。あっという間に20キロほど走り過ぎ、再び海へと出る。出会した四万十川は、下流にもかかわらずエメラルドのように輝きつつも透き通り、最後の清流と喩えた人の気持ちがよく分かるほどに綺麗だった。川沿いの道は国道321へと代わり、山の中のトンネル、そして細い川沿いから岩場のきれいな海沿いを走る。いくつかのカーブを越え目の前に突然現れたのは、真っ白に輝く砂浜とゆるい波。大岐海岸。波に乗れない人でも、ここでパドリングしていたら心癒されるだろう。程なく、この旅3番目の目的地、足摺岬を周遊する道路がとうとう見えた。しかし東回りのそこにはのらずに、あえて真ん中の道を走った。これがまたしても大正解!!!16年間バイクに乗って色々な道を走ったけれど、見晴らしは良いのに民家がひとつも見えない山の中、ゆるい勾配をクネクネと上がって行くそのワインディングは、今まで一度も経験したことのない世界。まるで異次元のよう。それでいてスイスイと走っていける自分がいた。いつから覚えたのか記憶にないけれど、ワインディングは常に見えないカーブの先を見つめるときちんとしたルートがとれる。旅4日目にして、やっと思い出すことが出来た。この道で写真を撮れなかったことだけが悔やまれる。午後12時40分、ついに足摺岬到着。室戸岬とはまた違う景観を、たくさん写真に収めた。小さな公園にはジョン万次郎の像があった。学生時代に習ったな、と懐かしい記憶にひたる。ここは10分だけの滞在。他に見るところはいくつもあったが、岬の素晴らしい景観だけで満足だった。このペースだと、夕陽が沈む前にフェリーに乗れそうだからだ。そう期待しながら、宿毛市を過ぎると愛媛県。御荘町を抜け宇和島市に入ったのは午後3時。ここで今日初めてのまともな渋滞に巻き込まれる。ここからが俺の悪い癖で、先を急ごうと道を逸れてしまったのだ。迷い込んだのは、自動車1台がやっと通れる県道274。ちびちびと何度も曲がりくねり、道路脇はミカン畑ばかり。でもこの間違いは、最高の気分転換になった。山を越えた先、宇和島湾が、傾き始めた太陽を照り返し、ものすごく綺麗だったのだ。もしもう一度四国に来ることがあったら、もう一度絶対に来たい、そう思える景色だった。しかしその感動は、長続きはしなかった・・・なんと事故にあってしまったのだ。工事渋滞の法華津トンネル。そのど真ん中で、こちらが止まっているところへ、うっかりブレーキをはずした後続車に追突されてしまったのだ。衝撃を感じた瞬間、ものすごく頭に来た。でもトンネルを抜けるために、止まっては走ってを繰り返している内、怒りは波のようにだんだんと収まり、町に入った所で互いに路肩へ自動車を止め状況を確認した。申し訳なさそうに何度も頭を下げる、若い奥さん。自動車の中では、子供達が何事かと不思議なまなざしでこちらを見つめる。幸いなことにフュージョンはナンバーが少し曲がっただけで、傷もなく、リアトランクも異常なし。(数日後に気づくのだがウインカーのカバーにヒビが入っていた)その奥さんは今後のために名前と住所を書くつもりでいたが、大丈夫ですよと何も聞かずに別れた。こんな時、示談にするため金を取る人もいるだろうが、俺はそんな嫌なことはしたくない。何もなければ、そのままにして置いた方がいい場合もあるのだ。その奥さんにとってここは地元であっても、俺にとっては1000キロ以上も離れた土地。相手のことを考えるとややこしいことにはしたくないから。奥さんも、そんな親切心に感謝してくれたのだろう。何度も何度も頭を下げていた。渋滞と事故は予想外だったため、すでにこの辺りで陽が沈みかけていた。四国最西端、三崎町を目指すために国道をはずれ県道25へ。夕焼けの余韻を追いかけながら、速度を上げる。ぶつけられた影響もなくバイクはハイペースで進み、八幡浜市で国道197へ合流。山を登りながらトンネルを抜けると、そこはとうとう四国の西端に突き出た細長い岬。この辺りの地形、長く続く砂浜のようなものを想像していたが全く違い、険しい山が海に突き出たような形で、標高もかなり高かった。この景色もまた忘れられないだろう。夕焼けを背にした風力発電の風車が今でも目に焼き付いている。三崎港に着いたのは5時40分。タイミングが悪く10分ほど間に合わなかった。待合所で身体を温め、6時30分のフェリーに乗る。四国と九州を結ぶフェリーはいくつかあるのだが、このフェリーは距離と時間が短く安い。しかし船は古かった。珍しいのは、幅が太くないこと。その代わり細長く、外見は普通の船のよう。1時間10分の船旅は写りの悪いテレビを見ているとあっという間。でも心配は今日の宿。この時間では見つからないかもしれない、と。すっかり暗くなってしまった空の下フェリーを下り受付で話を聞くと、運の良いことに100メートル先にビジネス旅館があるとのこと。駄目元で行ってみるとこれがなんとOK!しかも年輩の女将さんは親切で、開いている食堂を探してくれ、旦那さんとおぼしき人は、見つけた食堂まで自動車で送ってくれたのだ。この旅は、人と人とのふれあいが、優しさが感じられる旅。この旅館に泊まり、しみじみそう感じた。そしてもう一つ。今日走りながら感じたこと。運の良さと、人との出会いの良さは、俺にとっての武器かもしれない。それを胸に刻みつける旅になるかもしれない、と。


データー

出発   午前7時30分

到着   午後5時30分

走行距離 428キロ(高知県安芸郡奈半利町→愛媛→大分県北海部郡佐賀関町)

01-03ひたすら3800キロ、旅3日目 2003/12/22


朝6時、携帯のアラームで目覚める。寝付きは悪かったのだが、どうやら熟睡していたようだ。温泉街にふさわしい静かな朝。顔を洗い、歯を磨き、着替えて、7時に朝食をとる。さすがに早起きは俺だけのようで、一人静かに食べる。7時30分チェックアウト。民宿の主人はまだ寝ていたようで起こしてしまった。ぼさぼさにたった髪の毛が印象的(笑)。聞くと、和歌山までは下道で2時間半、途中から高速にのると1時間半とか。どっちにするか悩んだが高速を使わない旅にしたいという目的を守り下道に決め走り出す。異変は突然訪れた。出発して10分もたたないうちに、国道42へ入るための信号待ち途中にエンジンが突然ストール。どうやら暖気が足りなかったようだ。国道42は至って快適。早く出発したのが幸いして、すいすい流れて行く。しかし比較的大きな都市が続くせいか、これといって止まって見るような場所もない。山間を抜け有田郡に入ると、道端のミカン販売所が増える。そう言えば有田ミカンは有名だな、などと考えていたら、関東では想像も付かない景色に出くわしてしまった。国道42沿い、両脇に見える標高数百メートル級の山々全てがミカン畑なのだ!それも延々10キロ近く。この景色には驚かされた。やがて和歌山市内に入り、フェリー乗り場を探しているうちに昔ながらの街(といっても家々は新しいので道が狭いということ)に迷い込んでしまった。しかしすぐに抜けることが出来、幸か不幸かフェリー乗り場への標識が目の前に現れ、無事に到着。10時過ぎ、フェリー乗り場の受付で用紙を記入し渡そうとすると、販売は50分前からと言われたのだが、そのイントネーションがまた優しくて・・・この辺りの言葉に惚れてしまいそうなくらい(ちなみに受付は若い女性、だからと言うわけではない)。切符を買いフェリーの前で待っていると、相模ナンバーのZRX1200が止まる。ここでこの旅始まって以来のライダーとのおしゃべりが実現。そのまま乗り込み、絨毯敷きの広い船室で話に花が咲く。聞くと厚木から大阪を経てここまで来たとか。こちらも旅の報告をし、いろいろな情報を聞く。目指す室戸岬近くにはライダーズハウスがあると聞いたのだが、詳しい場所が分からず結局そこへは行かなかった。しばらく話した後は、ゆっくりと時間を過ごす。昨日のフェリーに続き、この旅のテーマ曲とも言えるWaltzInBlueを聞いたり外の景色を楽しんだりしながら、2時間の船旅はあっという間に過ぎた。フェリーが接岸し、そのライダーとはここでお別れ。9番目の県(正確に言うと東京は都だから8番目)、徳島だ。生まれて初めての四国。和歌山よりもさらに空気が暖かいのは気のせいではないようだ。四国の地図を買うためコンビニを探す。徳島市から隣の小松島市に入り、ローソンで一休み。午後2時前に遅い昼食をとる。昨日の地図と同じ昭文社の800円地図(安い上に見やすく県道レベルまで分かるのでお気に入り)なのだが、四国中国全域をカバーしていてかなりお得感が高い。これでこの旅、後は九州の地図だけ買えば用が足りる。10分ほどの休息の後、国道42を南下する。道路は今まで以上に空いていて快適の一言。この旅初めてのピースサイン(ここ10年ほどで誰もしなくなるほど廃ってしまった挨拶だが・・・)は相手がちゃんと返してくれた。うれしかった。この土地の大らかさが、そう言う気分にさせてくれたようだ。しかしたった10分の間に5台の白バイとすれ違うとはどういうこと?海南町で給油。聞くと室戸岬までは約1時間とのこと。まだ夕陽までは間に合うとの望みを託し、先を急ぐ。ガソリンスタンドの年輩の従業員、ラーメン屋のKさんに似ていたな。確かKさんは四国の出身だったっけ。親戚だったら笑えるかも。この辺りは、房総半島で言うところの鯛ノ浦のような感じ。波が静かで透き通り、海に突き出た岩山が印象的だ。そしてトンネルをいくつか越えると、景色が一変する。海の間際まで迫った山とほんの僅かな浜のと間にある道を走ることになる。太陽は高い山の向こうに消え、空気が急に冷え込む。しかし日没までは時間があるので、左手に見える東の海は相変わらず明るく輝いている。室戸岬まであと15キロを切った頃からだろうか、何度も工事中に出くわし足止めを食らう事になる。日没へのカウントダウンが空しく過ぎて行く中、仕方ないと黙って待つ。いくつか重なった峰が一つ消えるごとに山の向こうの空は夕焼けに染まり、山の濃い緑と、海の青さと、広さとが目に焼き付く。そしてとうとう室戸岬へ到着した!この旅2番目の目的地。岬の小さな駐車場から夕焼けが見えなかったため、50メートルほど先の空き地にバイクを止めた。どうやら、この旅が遅れ気味に進んでいることに感謝しなければいけないようだ。35年生きた中で、見たこともないほど最高に素晴らしい夕焼けだったのだ。しばらくその余韻に浸っていた。もちろんビデオと写真に収めたのは言うまでもない。そして水平線を赤く染める夕陽の余韻を左手に見ながら、今日の宿を探した。意外なことに、岬の近くにはほとんどホテルらしいものが見あたらず(後に知ったが見逃していたようだ)、20キロほど北上した。高知まで2時間かからずに行けそうだったので、このまま走り続けそこでビジネスホテルを探そうとも考えたのだが、途中の看板で目を付けていたホテルが運良く空いていて、そこを今日の宿とすることにした。素泊まりで5800円。一度3階の部屋に荷物を置き、1階のレストランで生ビールとマグロ定食を食べた。刺身はさすがに新鮮で、魚を食べ慣れた俺でも満足のいくものだった。6時30分に部屋へと戻り、1時間掛けて今日の日記を書き上げた。テレビから流れてくる番組は、もう関東とは全く違う世界(笑)。これも旅の醍醐味か?しかし2日続けて露天風呂とは運がよい。さて、どんな感じの風呂なんだろう。ところで、ここ2日フェリーに時間をとられ距離を稼げなかったが、明日はどんなに遅くなっても九州に上陸しようと思う。今度はビジネスホテルでも構わないから。そしてあさってには鹿児島だ!


追伸 温泉ではないが木造の立派な大浴場と岩で飾り付けをした大きめの露天風呂と2つあり、おまけに柚がたくさん浮かべてあって、ジャグジーのように泡の吹き出す立派な風呂だった。

慣れないリュックで凝りかけていた肩の疲れも、この風呂のおかげですっかり休めることが出来た。旧館に泊まれば4800円な上にこの風呂へ入れるのだから、このホテル結構徳かも。


データー

出発 午前7時30分

到着 午後6時

走行距離 283キロ(和歌山県西牟婁郡白浜町→徳島→高知県安芸郡奈半利町)

01-02ひたすら3800キロ、旅2日目 2003/12/21

朝6時起床、8時に朝食。見晴らしの良いレストランで食事しながら、ホテルの人に話を聞くと、目の前に見えるのは伊勢湾とのこと。と言うことは海の左向こうに見えるあの陰は御前崎かなと勝手に想像していたのだが、フェリー乗り場に行って違うことに気づく。夜だから気づかなかったが、このホテルの場所は岬よりも幾分湾内寄りだったのだ。左向こうに見えていたのは紀伊半島の東端、鳥羽。右手に見えていたのは伊勢湾でなく三河湾。その間の海が伊勢湾だったのだ。地図上でその大きさは知っていたが、目の当たりにした伊勢湾に改めて驚く。9時10分発10時5分着の船旅。生まれて初めてのフェリーと喜んでいたが、揺られているうちに勘違いだったことに気づく。中学の修学旅行で金谷フェリーに乗っていた・・・ま、自分のバイクで乗るのは初めてだと思うことにしよう。動き出すフェリーの窓越しに、風にながれる雲を眺め、斎藤誠のWaltzInBlueを聞く。これがまたバッチリはまっていて、改めてこの曲を惚れ直す。岐阜の山を越え北から吹き下ろす強風に煽られて、海はしけ。かなり揺れたが、オフロードのバイクでウオッシュボードを走るのと比べればかわいいもの。もちろん酔うはずもない。せっかく船に乗ったので、外で強風にもまれながらビデオと写真を撮る。程なく港に入り、この旅7番目の県、三重へと到着。国道167を南下しながら、地図を買うためコンビニを探す。愛知県でもそうだったのだが、この辺りにセブンイレブンなど全くなく、ほとんどがサークルK。紀伊半島と四国が載った地図が欲しかったのだが、あったのは紀伊半島西端の載ってない中部道路地図。買わずにこのまま行ってしまおうかと考えたが、買っておいて正解だったことをすぐに思い知らされる。県道16から国道260へ抜けた直後に見えた五カ所湾はきれいだった。海面に突き出ていたあのいくつもの網は何だったのだろう?何かの養殖でもしているのだろうか。などと気にしながら、国道42にのれば潮岬まで一直線だと思っていたのが間違いの始まり。標識に右折国道42と見えたので何も考えずに曲がったのだが、道は山間に入って行くばかりで一向に合流しない。10分ほど走ってから、さっき買った地図を見ると、右折してはいけなかったのだ。今までの旅では、間違ってもそのまま走り別のルートを探していたのだが、今回の旅、次はいつ出来るか分からないので引き返すことにした。無事に国道260へ戻り、そのまま紀伊長島町へ。さっきまでは房総半島でもないくらいの山と海の間にひしめく静かで小さな田舎町ばかりだったのだが、この辺りからは平地も広くなり幾分大きな町になった。そしてそれにあわせるように直線道路も増え、気候は温暖で、海は風も波も静か。波もなく、太平洋がこんなに静かでいいものか?と心配してしまうほど。ここで運命の出会い(?)。銚子橋という文字につられバイクを止め川をのぞくと、そこはなんと銚子川。由来は分からないけど、何の気なしに通り過ぎてしまうかもしれなほどの小さな川に目を留めたのは、やはり何か惹かれるものがあったのだろう。(俺の先祖は遙か昔から銚子の人間)再びバイクを走らせると海から離れ、尾鷲市から熊野市にかけては山間を抜ける。この辺りは童話「種まき権兵衛」の発祥地らしい。記憶の片隅にあった物語が蘇ってくる。そんな童謡からは想像も付かないほど昨日の雪はひどかったようで、海が近いのに山肌にはしっかりと雪が残り、そのせいで気温はグンと冷え込んでいる。道路案内板によると3度だとか・・・程なく再び太平洋が見える海沿いの道へ。新宮市は、昔見た映画の舞台。「ときめき海岸物語」という、今となっては誰も知らない映画で主演鶴見伸吾・冨田靖子。サーファーのお話なのだが、実際目にして果たしてこんな静かな波で乗れるのだろうかと、かなり疑問に思った。どこで撮影したのか特定する術もないので、止まらずに走り続ける。時々信号に引っかかりながらも順調に進み、那智勝浦から太地町へ。鯨で有名な町だ。止まってゆっくり見たかったが、今日は出発直後のフェリーでロスしていたので先を急ぐ。中部地区は関東と違い、交通マナーがかなり良い。昨日からそう感じていたのだが、やはり馬鹿はいた。自動車が何台か詰まっていて早く走れもしないのに、追い越し禁止を無視し、バイクにぶつかるほどの切り込みで割り込んできた奴がいたのだ。あまりのひどさに頭に来たので、クラクションを何度か鳴らす。その自動車、無理して割り込んだくせに、結局信号で俺に抜かれてしまい全く意味なし。その怒りを収めるに十分な、海沿いの景色を見ながら走る。古座町をすぎるといよいよ串本町、そして潮岬だ。今回の目的地の一つ、本州最南端。房総の白浜と違い、波穏やかで、視界を遮るものが何一つない壮大な眺めだ。碑の前で記念写真を撮る女性2人組、聞き慣れない言葉と思っていたら中国語だった。しかもツアー客で、バスで来ていた。最近の日本は東アジアの観光地といわれているが、関東でそれは実感出来ない。しかし雄大な自然の残るこの地では、旅のせいもあるのか立派に実感出来た。遠くへ来たのだな、と変な感銘(?)をうける。観光客も消え静かになった岬でゆっくりと海を眺めていたかったが、あまり時間がないので写真とビデオを撮り、20分ほどで再び走り出す。日はだんだんと傾いていく。海は夕陽に揺らめき、きれいだった。日が沈む前に写真を撮った。今日はフェリー乗り場のある和歌山市まで行くつもりだったが、出発の時点で無理なのは分かっていたので途中から白浜へと決めていた。理由は2つ。温泉で有名なこと。そして有名な旅館街だから、必ず泊まれると踏んだこと。まだ風呂には入っていないのだが、この民宿は凄い。6階建てのビルでまだ新しく(もちろんエレベーター付)、食事にはでっかい伊勢エビとタラバガニの足が入った鍋物、ご飯、そして鍋に入れるうどんだ。あっさりして旨い上に満腹。昨日のホテルが記憶から消えてしまうほどに豪華な食事だった。今日は他の宿泊客と同じ場所での食事だったが、聞こえてくる関西訛りの言葉に感動。遠くに来たんだな、としみじみ感じる。ここを教えてくれた観光案内所のお姉さんには感謝感謝。たった500円払っただけで、こんなに良い場所を教えてもらえるなんて(もっとも無料案内所というものが存在する観光地もあるのだから高いとも言えるかもしれない)。

そこで聞いた話では、最近の温泉街は飛び込みの一人客は泊めてくれない所が多いそうだ。理由は言わなかったが、不景気の影響があるのは明らかだろう。値下げして一人では割に合わないとか、自殺する人がいるとか、たぶんそんな所だと思う。部屋の場所は良くない為展望はないが、急な飛び込みだから仕方ないだろう。さて、明日は和歌山まで一直線、そしていよいよ初めての四国だ!では、温泉露天風呂に行って来ます!しかしこれで8000円は安いよ・・・


追伸 囲ってあって外は見えなかったけど、最高!露天風呂は貸し切り状態。ぬるぬるした温泉で温くなく熱くなく。またまたゆっくりと浸かってしまったのでした。


データー

出発   午前8時30分

到着   午後5時30分

走行距離 312キロ(愛知県渥美郡渥美町→三重→和歌山県西牟婁郡白浜町)

01-01ひたすら3800キロ、旅1日目 2003/12/20

近所の迷惑を考え、旧国道沿いまでの500メートル、バイクを押し、しばらく暖気運転。朝の気温は3度。気温が低いにもかかわらず寒さは感じなく、これは大丈夫と思ったが走り出し夜が明け始めるに従って一変。空気の流れとともに底冷えが訪れる。ま、今日は特別早い出発だから、今後こんなに寒い思いはしないだろう。この旅の予定では朝は8時30分出発、夕方は4時30分にはホテルにチェックインするつもりでいるから。国道356・国道464・国道6といつものコースで東京を目指す予定が、どこを間違ったのか解体中のザウルス前に出て、そこから国道14を経て国道1へ出る。今日中に愛知県は越えるという目標の中、時間ロスに繋がる間違いを悔やんだが、このコースは寸前まで悩んでいたもの。市川の浮谷家の前を通れたので良しとしよう。ここで予定外の混雑に巻き込まれる。渋滞なんて土曜朝の東京に無縁だろう、と思っていたのにとんでもない話だった。そのせいで、3時間以内に東京を抜ける予定が、4時間近くかかってしまう。皇居を右手に見ながら入った国道246は、時々混んだがすこぶる快調で、あっという間に神奈川へ入る。当初の予定では富士山の写真を撮るつもりだったのだが、近づくにつれ、北から吹き下ろす強風のせいで裾野以外は何も見えず諦めながら通り過ぎた。静岡に入ると、それまで曇っていた空もきれいに晴れ、まぶしいほどの太平洋が出迎えてくれた。駿河湾だ。ここでも写真を撮りたかったのだが、国道1を通る自動車の早さにめげ、これも諦める。順調に流れ、昼食時を過ぎ何か食べたいと注意しながら走るが、都市部を避けるように繋がる陸橋のようなバイパス沿いにはあるはずもなく、空しく通り過ぎる。その後大きめな町を見つけたので、バイパスをはずれ町中をトライするが不発。いくつかの町で探したが一人で入りやすい場所が見つからず、結局午後2時、藤岡市のcoco壱番屋でカツカレーを食う。この時点で、もう伊良湖岬のフェリーには間に合わないかもしれないと感じていたが、諦めずに、下がりはじめた気温の中走り続ける。冬は夕方の訪れが早いのだ。浜名湖から太平洋にそそぐ湾の傾き掛けた夕日はきれいだったな。たぶん、今日の景色で一番だったかもしれない。でも、たどり着くことに一生懸命でここでも写真を撮れず。道は会長に流れ、すぐに愛知県へと入った。太陽が水平線に近づくに従い、煌めきが暖かさを感じさせる海とは違い寒さはどんどん増してくる。走りながら身体がぶるぶる震えた。やがて太陽は見えなくなり、夕焼けの名残が山中へと入った国道沿いへと注ぎ込む。もう海は見えない。フェリー乗り場のある伊良湖まで20キロを切った頃だろうか、とんでもない光景を目にしてしまった。なんと測道に雪が!寒いわけだ。南に来ているのに、まさか鹿嶋よりも寒い思いをするなんて・・・走っている時は必死だったので考える余裕もなかったが、後で思い返してみるとこの国道42は春秋くらいに来ると最高のツーリングコースかもしれない。適度にワインディングがあって、適度に田舎で。いつかまた来てみたい。やっとの思いで伊良湖に到着したときには、夕焼けの名残はすっかり消え、近くに都市もないせいで辺りは真っ暗。体感温度0度以下でブルブルを通り越しガクガクな身体を抑え、フェリー乗り場を確認。そこで年輩の従業員に教えてもらったのが、すぐ近くのホテルだ。

受付で住所氏名を書こうとするが、手の震えは治まらず、それでもフロントの人は「暖まってからで大丈夫ですよ」と優しい言葉をかけてくれた。値段は一泊夕朝食付きで1万円。飛び込みにもかかわらず、新鮮な海の幸と品数の多い夜食を出してくれた。食べ終える頃には、ビールのおかげもあり身体の震えも止まり、大満足。しかも予約客より遅い時間だったせいか食事もひとりで静かにゆっくり出来たし、風呂に関しては大浴場に一人だけと、何もかも貸し切り状態で最高だった。湯の温度も熱いのは苦手な俺好みで、ついつい長湯をしてしまったのは言うまでもない。そうそう、知らないことは怖いなとしみじみ感じたことが一つ。このあたりは、暖かい場所と思いきや冬は結構寒いと言うことを、受付のお姉さんが教えてくれた。なんでも日中雪が降ったらしい。さらに驚いたのは、テレビのニュース。午後6時半の時点で、名古屋はまだ、小雪がちらついているとか・・・知らないと言うことは、ホント恐ろしい。一日目から心配するのも変だが、このペースで海沿いを走ると十日以上かかってしまう。どこかを諦めるか、それとも途中でフェリーに乗って帰るかのどちらかにしなければならないかもしれない。ま、九州の最南端まで行ったら考えるとするか。そうそう今日の午後と明日のコースは、14歳の浮谷東次郎が原付で走ったであろうコースとほぼ同じ。そのころとは景色も走る自動車のスピードもだいぶ変わっただろうけど(40年も昔だから・・・)、出会う景色と感動はきっと同じだと、信じられる。


データー

出発   午前5時ちょうど

到着   午後5時30分

走行距離 465キロ(茨城県鹿嶋市→千葉→東京→神奈川→静岡→愛知県渥美郡渥美町)

01-00ひたすら3800キロ、序文〜旅立ちまで

あなたは浮谷東次郎という人を知っていますか?


俺の生まれる1年と11ヶ月前の1966年8月、練習中のサーキットへ入り込んでしまった人を避け助けたことにより、不幸にも自身が死んでしまったドライバーだ。

彼については、色々言う人がいる。日本で最初にF1ドライバーになるはずだった人とか、TOYOTA2000GTは彼のために作れたようなものとか。交友関係も広かった。本田宗一郎を始め、有名な俳優、自動車評論家、そしてF1にまで参戦したある大手部品メーカーの社長だとか。幅広い人付き合いをしていた親しまれやすい人だった。

しかし俺には、彼の伝説は関係ない。人柄に引き込まれたのだ。

浮谷東次郎著の本は3冊発刊されている。しかし正確に言うと、本当の著作は最初の「がむしゃら1500キロ」だけで、残りは本人の書いた手紙や日記などを後に親族が構成したものなのである。

俺と東次郎の出会いは、高校1年の夏。その本だった。「がむしゃら〜」は衝撃を、残りの二冊には共感と勇気を受け与えられた。

「がむしゃら〜」のあらすじはこうである。

14歳の少年が、当時は許されていた原付の免許を取り、今では考えられないほど山道に近かった道を走り続け、神戸まで行って帰ってくるまでの10日間1500キロを記した紀行文である。

身体を揺さぶられる程の、ものすごい衝撃を受けた。その勇気に。当時まだ、いじめで荒んだ気持ちを引きずったままの俺を、彼の「がむしゃら〜」は確実に癒してくれたのだ。そしてこの頃から、まったく興味の無かったバイクが気になり始める。

一つ目の夢は、この本と出会ったから生まれたと言っても過言ではない。

”原付で日本一周をする”。バイクの性能も上がり、国道も立派な舗装が施されている現代では、こんなことをしている人は山ほど居る。でも身体が決して強いとは言えない俺には、実現出来るかどうか?なことだった。残念ながら今持ってその夢は実現出来ていない。不景気が一向に改善しないこのご時世、もし仕事が見つかっても、長期休暇など夢のまた夢。この先もきっと実現は無理かもしれない。だから今この突き落とされた中、方法は違えど、バイクで旅立つことが出来たらどんなに勇気がつくだろう、そう思ったのがこの無謀な旅の切っ掛けだった。

そう、この1年ですっかり自信を失い、だらけきってしまった自分を変えるため。その第一歩にしたかったのだ。寒さが厳しいこの季節に、息を吹き込まれてから15年もたつオンボロバイクでどこまで出来るだろうという挑戦、もし本土最南端へ行き着くことが出来、無事返ってくることが出来たなら、きっと根性も勇気もつくだろうと信じての旅だ。

この1年は色々あった。一昨年仕事を辞め、運命の出会いと感じていた彼女ともその影響で別れることに。そして失恋を引きずりながら平成15年を迎え、もう一度夢を追って生きたいと、バイトで食いつなぐ日々が続いた。

ひとつの夢の入り口には何とか到達することが出来た。でもその影響で蓄えはすっかり無くなり、今は借金生活である。

秋になり働き口を探しにハローワークに行くも、それまでしていた仕事ほどの給料の求職はなく、この年齢。自分は何をするべきか、自分はどう生きていくべきかが頭の中で複雑に交差して、訳が分からなくなる日々が続いていたのだ。

正直、自殺を考えたこともあった。失血で確実に死ぬため、首の皮にまで包丁が行ったこともあった。それは寸前でためらったが、もし借金を返せなくなったら、自分のせいで造った借金なので自己破産なんて惨めなことはしないで死ぬつもりでもいた。おりた生命保険で清算してもらおうと、遺書らしきものまで書いた。だからいつでも死ぬ覚悟は出来ていた。その覚悟は、旅を終えた今でも変わらない。

俺は人には頼れない性格に育ってしまった。ある事件が発端で、苦しく辛い日々が8年近くも続いたのだ。今で言うところのいじめ。申し訳ないが何が切っ掛けだったかは書けない。書くことによって、悪意のない人にまで迷惑が及ぶかもしれないし、今そのことをどうこう言ったとしても、俺自身の傷が癒えるとはとても思えないからだ。

これからの人生を決める大事な時期にうけた衝撃は、ひとりで生きることを自然と選ばせる。いじめの影響が無くなった高校生活も決して楽しいものにはならず、社会人になった今も友人の数は少なく、人と群れることを嫌うようになってしまっていた。

その影は大きかった。将来のことを真剣に考えられなくなっていた。そして親友にも、腹を割った相談も出来ないのだ。仮に相談出来たとしても、解決には決してならない。だが人を信じないわけでもない。むしろ人なつっこい方だと、自分でも思う。

卒業後に出会った友人には、今でも感謝している。

STONEは特に。夢を語った数少ない親友だと、俺は思っている。

学生時代に知り合った殆どの友人達や親・親戚は、俺にこんな暗い影があることを知らない。

このプレッシャー、分かるだろうか?周りからはしっかりした人間と思われ、その期待を背負い息苦しく生きていくことの辛さ。

気にしなければいいじゃないか?と言う人もいる。しかしそう言う人は、いじめの本質を分かっていない。

人間が何年もパターンのように繰り返したこと、しかもそれが本人が生理的に受け付けていないことだったとしたら、どうだろう?数年かけて身体に凍み込んでしまった傷は、決して浅くはないのだ。

残念ながら、父はそんな俺の影を知らない。だから今でも分かり合えていない。これは悔しい。これ以上辛いことはない。かといって父にもあたれない。だから距離を置いてしまうようになってしまった。

話が逸れてしまったように聞こえるが、この旅は、そんな俺のバックボーンがあるから実現出来たことなのかもしれないと言うことを付け加えたい。

だからもし、この文章を読んで通じるものがあったなら、辛さに負けそうになった時は是非勇気を出して何かしら一歩踏み出して欲しい。

それだけはお願いしたい。




旅立ちまでの日々


最初に旅に出ようと思ったのは、仕事を辞めた直後の平成14年9月。

今でなければ出来ない、と言うのが理由だった。目的地は尾道。当時付き合っていた彼女には理由を伝え、ほぼ出発まで決まっていた。しかしその日程を遮るように台風が上陸。やむなく諦める。

その後は友人の手伝い(選挙)を無償で引き受けながらも、その友人と仲間達に勇気をもらい、徐々に自分を取り戻していく。

しかし努力の甲斐もなく選挙は負け。1ヶ月も経たない内に、運命の出会いと感じ1年半付き合った彼女とも

別れることとなる。

やがてせっかく出来た友と会うことも避けるようになり、隠りっきりの生活が始まる。

自分に自信が亡くなってしまったのが一番の原因だった。当然失恋から立ち直れるわけもなく、この頃から死を意識するようになる。


「こんな俺に今何が出来るだろう?」


そう考えた時、真っ先に浮かんだのは日本一周。しかいバイクでの旅は真冬と言うこともあり真っ先に却下となった。

次に思い浮かんだのは、物語を書くこと。高校時代からチビチビと書いていた物語があるのだが、長いストーリーの部分部分だけしか存在せず、おまけにここ5年以上まともに書いてさえいない。書いた時期がバラバラだから、文章も統一が取れていなくこれを仕上げるのは至難の技。

ライフワークと思っているこの物語は、絶対に書き上げたいけど今は無理だと諦めた。そして昔書いた物語を読み返している内に、ストーリーだけを考え全く手つかずの話があったことに気づく。

これなら出来るのでは?とベースとなる歌を繰り返し聞きながら、書き始めた。

当初は原稿用紙2〜300枚程度の予定だった。目標としては1月から書き始めて3月いっぱいには終わらせるつもりでいた。そして終わったら就職口を探そう、と。

しかし、長年のブランクは想像以上に大変で、何度も壁にぶち当たり、書いては止め、飲んだくれては書き始めを繰り返す。

4月になっても終わりは見えず、当初の200枚はすぐに越えていた。

徐々に勘を取り戻しては行くが、一向に終わりは見えず、5月も終わってしまう。

最後まで書き終えたのは7月の終わり。原稿用紙700枚を越えていた。

だがその仕上がりには満足がいかず、借金生活で余裕もないくせに、頭を休めるため夏は何もせず過ごす。

そして9月。再びその物語に向き合い、10月、ついに完成。

原稿用紙800枚を超えていた。削った箇所もあったから、200枚近くを書き直したことになる。

現在その物語は、ある出版社の賞へ送ってある。

もちろん賞なんて取れるとは思ってはいない。これからも趣味で書き続けていく限り、欠点を知っておきたいというのが理由だ。その賞は、編集部が応募作品すべてに目を通し、必ず評価をくれるというのがポイント。その代わり結果が分かるまでには半年近くも掛かってしまう。だから今は結果待ちである。

いつか何らかの形で、皆さんの前に出せるよう、頑張りたいと思います。


さて、恋愛物語を書くことで、やっと失恋から立ち直り仕事を探す気力も生まれた。

しかし現実は厳しく、以前働いていた程の給料の仕事はどれも専門職。資格すらない俺にとっては、そこへの就職は無理な話。ひとつの物語を書き終えて生まれた自信は、いとも簡単に崩れてしまう。

また飲んだくれる毎日が始まった。

逃げることしか考えなくなっていた。一度は消えた死への願望も、再び目の前をかすめるようになる。

最低限の生活しかしていないのに、借金は増えるばかり。

このままじゃいけない。

変えなきゃ行けない。

何かしなきゃ…

そう、自分を追いつめた時、再び旅への想いが甦ってきたのだった。



ここからは、「がむしゃら1500キロ」と浮谷東次郎に敬意を払って、日記形式で書きたいと思う。

俺自身の気持ちを、感じていただければ幸いです。




2003/12/14


去年、選挙の手伝いをする前に本気で考えていた旅行を、今また本気で考えている。

あの時は尾道まで2泊3日だったが、今回は違う。10日間で西日本走破だ。

今日テストランを兼ねて、フュージョンで房総一周をした。まともな一周は実に3年4ヶ月ぶり。寒さが身体に堪えるかと、それだけが心配だったが、出発が午前7時45分ー帰宅が午後5時ちょうどという時間帯だったせいか、それ程寒くもなく無事に400キロ走れた。

果たしてこの1年ですっかり身体が弱ってしまった今の俺に、毎日300−400キロを、10日間も走り続けられるだろうか?

フュージョンは壊れずに済むだろうか?

でも今回はかなり本気である。


今の俺は燃え尽きることもなく、燻りから抜け出せずに、腐りかけている。

生きることに自信も持てない。

父のこともある。

夢だった原付での日本一周は予算と季節的に無理だけど、この寒い季節に西日本だけでも走ることが出来たなら、自信も沸いてくると思う。

その自信を、未来につなげたい。

もう、今の俺にある望みはこれくらいだから…


果たしてKさんは、バイトを急にやめることを了承してくれるだろうか?

明日、俺の熱意次第、だ。



2003/12/15


今日、Kさんと社長に告白した。

Kさんは例によってあっさり。

社長は奥さんと共に親身になって話を聞いてくれて、あまりの優しさと気配りに涙が出てしまった。

今までやってくれていたのは助かるし、急にやめるのは大変だけど、そう考えているなら行くべきだと。本当にうれしくて、本当にありがたくて涙が止まらなかった。

そして同時に、父に、この数分の一の優しさがあれば俺はここまで苦しまないのに、と考えさせられた。

血のつながりはなれ合いを生むのだろうか?それとも互いにわかっているつもりになってしまうのだろうか?

そんな会話さえ成り立たないほど、俺と父は滅茶苦茶。

社長夫妻は、こんな話もしてくれた。

選挙を手伝わせてしまったことで、俺を傷つけたのではないかと、ずっと思っていたと…優しい目で。

リフレッシュして、一生懸命仕事を探して、落ち着いて気持ちと時間に余裕ができたら、また手伝ってくれと言われたときには、何度も頭の下がる思いだった。

結局話は1時間近くに及んだ。

この数年の中で、もっとも実のある時間だった。


あとは父の手術結果次第。

こんな時期に旅行なんて考える俺を知ったら、家族や親戚はどう思うだろうな…間違いなく勘当だよ。

でもそんなことはもうどうでもいい。

きっと父は、俺が8年間いじめられ続けられていたときのように、恋と未来に悩み誰にも相談できず苦しんでいたときのように、家を出るきっかけになったときのように、選挙を手伝っていた時のように、その理由さえ聞けないのだから。

もう、分かってくれなんて思わないことにした。

今度そんな会話をする機会があったら、怒りを言葉に代えてぶちまけてやる。どれだけ苦しんでいたかを。

今の俺はただ、しっかり自分を見つめ直せるように戻れるよう、そして一刻も早く仕事が見つかるように頑張るしかないんだから。

そう、もう後には引けない。



2003/12/19


眠気もあり、午後11時半には床に入ったのだが、外出前の悪い癖で例によって眠れない。

いよいよ明日は旅立つ。

4時起床、5時出発予定。今年最後の強烈な寒波が通り過ぎようとしていて、明日朝の気温は0度だとか。

そんな中を、南へ目指して走る。目標は九州の最南端。出来ることなら、本州、四国とも最南端、そして九州の最西端にも、帰り道は尾道や郡上八幡も行ってみたい。

予算は10万円。昼飯抜きの毎日なら何とかなるだろう。


さて話は前後するが、ミッションオイルの交換がどうしても出来なくて、夕方5時半にバイク屋に行った。

懐かしかった。

18日に交換したばかりのエンジンオイルを間違って抜かれたが、グレードの良いオイルへ無料で代えてくれたと考えれば、これもかなりお得だと思う。

クラッチのカバーを外したのだが、削れた金属の煤と埃のすごさにびっくり。15年間開けなかっただけのことはある。

そして出て来たオイルの色にまたしてもびっくり。

腐った銀色とはこのことか?どろどろしていてなかなか抜けず、エアコンプレッサーで吐き出す始末。

一通り終え家に帰ろうとバイクに跨ったらUさんが一言。

「空気が全然入ってないな。」

確かにその通りだった。入れたらバイクの軽いこと。

感謝感謝。

走り出すと、心なしか振動も減った気がする。

さて、問題はこのバイクが故障せずどこまで持つか…

運を天に任せて、出発だ!


また眠れるかな?

心配だ。



2003/12/20


何とか4時間ほど寝ることが出来た。

荷物を詰め込み、気づいたことがひとつ。三脚が積めない。

諦めよう。

後は出発するだけ。


では、行ってきます!




旅のお供

バイク    ホンダ フュージョン 250cc スクーター 平成元年登録

(知り合いのMさんから譲り受けて早5年 その間の走行距離約10000キロ)

パソコン   APPLE    Powerbook2400c/240

音楽     APPLE    iPod 10GB

写真     CANON    IXY DIGITAL400

ビデオカメラ SONY    DCR-PC101